親として必死やったんか、教育下手やったんか、親の威厳を保つためやったんか、、、
なんか知らんけど、子どもの頃に親父から説教されると1時間、2時間は当たり前で、あれはマジで苦痛でしかなかった。
そんだけ怒れるのも愛情とか、成長させたいからとか、そんな綺麗事はどうでもよくて、異常でしかない。
しかも、タチの悪いことにそれを止めるべき存在のオカンもある程度は放置してたこと。
実際には止めに入りたかったかも知れんけど、結果2時間とか絶対的存在である父親に怒られてる子どもからしたら、それは拷問と同じで、オカンもそれを許してたとしか思えへん。共に異常。
守ってほしいときに守って欲しい人が守ってくれない。
これに人生を狂わされてる。
やから、守るべき人間が、守られるための生き方を選びたくないのに選んでしまう。
この違和感というか、ジレンマの恐ろしさたるや、心を壊す。というか壊した。
男性やからって概念は古いのかも知らんけど、やっぱり男性なら守れる人間になりたいと願うし、そうあろうとするし、大抵は自然とそう成長していく。
にも関わらず、無意識のうちに「守ってほしい」って生き方を選択する。
そのズレから生まれる歪みにも気付けず、もがいてももがいても、沈むことしかできひん。
プラスを足してるつもりが、ずっとマイナスを足してるわけやから、答えはマイナスにしかならん。
やから、心も壊れる。
そこから立ち直れはしたものの、その先も変われそうで変われへんかったのは、こんな歪んだ欲求を無意識に持っていたから。
このことに気付けて良かった。
女神ちゃんを守りたいと思ってるのにそうなれへん自分が理解もできひんかったし、何が悪いのかもわからんかったから、ここまで4年弱も苦労させてしまった。
いや、まだ気付いたのはつい先日のことやから、まだ苦労の道中ではあるんやけど、、、
ただ、原因がわかったから、これまでとは意識を変えて事に当たれる。
後、昔から何かしら期待めいたものを感じさせるようなポテンシャルがあると、他人から評価されてる。これも余計に自分を苦しめてた。
その評価が重いとかじゃなく、評価されてるにも関わらず、自分でもそうなんやと信じてるにも関わらず、まったく結果が伴わないことに。
これまでもどこか自信はあるのに、結果、何にもならずに生きてたら、やっぱりこれは自信がないんじゃないか?さらには、自分はダメなんやないか?もはや価値ないやん。って自虐したくもなるし、卑下もしてしまう。
でも、そういうネガティブな考えは全部間違い。すべてマヤカシ。
ズレにさえ気付いて、それを意識して回避すれば、あとは周りの評価と同等以上に結果も出せる。
人が言うんやから、それだけのポテンシャルもあるやろし、自分としても努力もしてきてる。
こういうこと、つまり「なぜか上手くいかへん」って人生に悩んでる人が他にもいるのか分からんけど、それはもしかしたら幼い頃に抱いたささやかな欲求が成長した今も足を引っ張ってるんかも知れん。
ただただ恐ろしいのは、親の悪意なき悪意。子どもからすれば、ひとつも善意ではない。
さて、どこかでアウトプットして終わらせようと思ってたから、これで子どもの頃の自分の欲求は消化とする。
正しくは、あの頃の僕を守り、救えるのも僕しかいない。そして、これで救ってあげたから、もう大丈夫。
まぁ、他にも親からの才能の否定とかについても書こうと思ってたけど、なんかそれも一緒に救えそうやし、書いても愚痴っぽくなるから、もういい。
いまだにクリエティブの瞬間に自分らしさを感じて、心が自由になれてるんやから、それが正しい生き方です。