金額の多寡は、その仕事の質の高さも意味をするから、まだそこまでの質を提供する覚悟がないということだ。
ただ、今は覚悟は特に要らないのでは?とも思っている。それよりも、自分の価値が数字に現れるから、自分で価値を低く見積もってるだけやなと。
だから、覚悟は見積もりを出した時点で決まるはずだ。
なんだけど、ここで出した見積額が仮に100万だとして、それを支払ってもらったとしよう。
通帳の残高が増えることで、それを確認するわけだけど、それはいつものことだ。きっと100万増えても喜び、実感はするけど、慣れると思う。
ただ、これを現金で受け取るとしたら、どうだろうか?
200万くらいまでなら、その厚みは知っている。重みも味わった。ただ、それを自分の仕事の対価としてもらうと考えると、自分の価値に不安を覚えるんじゃないだろうか?
借金なら返せばいいから、怖さはない。だけど、対価は違う。自分の価値だ。もちろん仕事で返すことにはなるんだが、現金でそれを見せつけられると、今のボクは、まだ不安になりそうな気がする。
何に不安を感じるのだろう?想像の話とは言え、ズンと来る。。。
お金自体は道具だと認識している。紙切れでしかない。だから、それを受け取ることの怖さではない。お金に込められた感謝も受け取れる。
自分への価値?仮に100万請求する場合、原価としては30万〜60万ってとこだろうか、、、そこに付加価値を乗せる。原価と言っても、物販ではないから、そこが作業料ってとこだな。1.5倍〜3倍の価値を乗せる。
それはあるかも知れないな、、、これまでは作業料だけをもらって来ていたから。ただ、最近は少し価値も上乗せしてるんだけど、まだ金額がデカいと怖いか。
特に現金ならそう思うだろうな。
まぁ、それでもこれからは受け取っていく。なぜなら、それはボクに対する投資だ。対価であっても、投資だ。そのお金でボクはさらに価値を上げればいい。
そうやって価値をあげ続けて、相手にはその対価以上の価値を返せばいい。そう、ボクからあなたへの価値のお返しは、倍返しだ!!
これからは自分の価値にとらわれないようにしておこう。それが不安を産む。ボクの価値はボクがボクであること。それを突き詰める。
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