それは単純に「素直」に反応できないという話なんだけど、あなたが、あの人は素直な人と思う人であっても、おしなべて素直なのか?と考えれば、そうではないかも知れない。
あなたも僕も素直で居たい
素直であるということには、2つの場合があると思う。
自分の感情を素直に表現できること、それと、外部からの影響を素直に受け取れること。の2つだ。内部への素直と外部への素直。
僕は感情への素直が不得手だ。影響への素直は、なるべく意識して素直であろうとはしている。
ただ、素直であり続けることは難しい。自分のその瞬間の精神状態や疲労感によっても変わってしまいがちだからだ。
だけど、なるべくなら自分に素直であり続けたいと思うだろう。
素直でないとは?
ちなみに、素直であり続けられない状態とはなんなのだろうか?
素直でないということは、拒否してしまうとか、冒頭で書いたように裏腹にしてしまうとか、反対的な言動をしてしまうということだ。
言葉としては天邪鬼(あまのじゃく)が最も伝わりやすいと思う。
この天邪鬼というのは、案外まだマシだと僕は考えている。なぜなら、自分でも気付いているか、もしくは周りは気付いているからだ。
なので、素直になろうと努めることができる。
だけど、天邪鬼のように気付けることもなく、ただ「否定」や「拒否」ばかりする人もいる。今の時代で言えば「アンチ」だ。
アンチとは何か?
アンチの定義などはネットを探せばいくらでもあるだろうから、僕の見解だけを書かせてもらうが、アンチとは「優越感を覚えたい」だけの感情だと思われる。
誰かを否定することで、自分の方が優れていると思いたいわけだ。これはエゴによる影響が強いだろう。
で、この否定というのは、何も言葉の攻撃だけではない。アンチの解釈を少し広げれば、あなたも僕もアンチに含まれる可能性があるのだ。
例えば、このブログのタイトルを見て「自分には関係ない」と思った人もアンチの傾向があると考えられる。
検索結果とかYahoo!ニュースなどの結果を見て、ほとんどの記事を飛ばすのは情報の取捨選択だから仕方ないんだけれど、SNSでたまたま目に付いた。とか、ふとした瞬間に目に飛び込んできたのに、それを否定してしまう場合は、アンチかも知れない。
そもそも、情報というのは、無数にあり過ぎるが故に、求めても得られないことがあるのに、そんな中から、あなたに届き、あなたも引っかかりを覚えたということは、その情報はあなたへのメッセージである可能性が高いし、そう受け取っていいと思う。
にも関わらず、それを否定してしまうのだから、アンチと考えても差し支えはないだろう。
なぜ、そのメッセージがあなたに届けられたのだろうか?ということだ。
素直であるということ
かつて、僕が読んだ本の著者がこんなことを言っていた。
「僕はいつもパスポートを持ち歩いているんです」と。
それって落としたら危なくない?とか思うかも知れないけれど、この方の意図していることは、以下の通りだ。
著者は、知り合ったメンターから、会話の最中だったかに、「今から海外へ行くけど、君も来るかい?」と誘われたらしい。
あなたならなんと答える?手元にパスポートがないから、と断るだろうか?お金がないからとか、予定が空いていないと断るだろうか?
断ることは簡単だ。
「はい」と答えることは難しいし、勇気もいる。
パスポートは手元にないかも知れないが、家に帰ればあるだろう。
お金がないなら、あるだけ用意して、メンターに素直に言えばなんとか工面してくれるかも知れないだろう。
予定を断ったらあなたの人生に大きな損失、取り返しがつかないような事態が起こるだろうか?そうでないなら、断っても問題はないはずだろう。
つまり、断る理由はいくらでも作れるんだけど、断る理由など最初からないに等しい。
だから、「はい、行かせてください」と素直に受け取ればいいし、その方が、先の人生において豊かになる可能性は広がる。
メンターがあなたの行ったことない国で、見たことない景色を見せてくれるかも知れないし、一緒に行動することであなたの知らない世界に気付かせてくれるかも知れない。
少なくとも、あなたよりレベルが上の人間と共に行動することは、あなたにさまざまな気付きを与えてくれる。
そして、素直に「はい」と答えるべき理由はそれしかない。
つまり、素直でいるということは、自分を成長させるための器を広げるということなのだ。
それでも、アンチでいたいか?
自分は今で完璧だ。今の環境が人生で最も素晴らしく、これ以上はない。なんて、あなたは満足しているのだろうか?それで心が満たされているのだろうか?
もし、そうなのであれば、今のままのあなたでいることが素晴らしいし、そのままでいるべきだ。
だけど、そう思えないなら、あなたが今日より明日の成長を望む人なら、知らず知らずのアンチを意識的にやめて、素直になってみることを試してみてはいかがだろうか?
少なくとも、僕はそうすることで、こころの自由が増えた。ゆとりが生まれた。
こころの癒しは、そもそも、こころにゆとりがないと、癒されることさえも苦しみと感じるだろう。ゆとりとは器の問題だから、器を広げておけば、間口さえ大きくしておけば、癒すことも苦しみを感じずに受け入れられると思う。
逆に何かを拒否したり、否定することは、あなた自身のこころの器を小さくしている。それでは、あまりにも悲しくないか?寂しくないか?
僕はあなたが今日より明日の方が少しでも幸せになれる、そんな選択を日々されることを願っている。
ついでに言うと、否定的な意見などを口にしないってのも同じ理由で大切なことだと思う。まずは、肯定した上で、何が気に入らないのかを考え、感情ではなく、論理で自分を納得させてみることだろう。
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