自分の考えや思いに合わない相手に対しては、間違っていると感じる。
時には相手を拒絶したり、否定してしまうこともあるかも知れない。
個人的に「拒絶」はいいと思う。ただし、相手に直接伝えるなどではなく、しれーっとフェードアウトすればの話。
だけど、否定はいけない。
と言っても、ボクも否定しがちだから、ボクへの戒めを前提とする。
なぜ否定がいけないのか?
それは単純に、思考の否定、価値観の否定が、個人そのものを否定していると思ってしまう怖さがあるからだ。
否定してる本人は、「その[考え方]は正しくない!」と言いたいのだとしても、受け手はそう受け取らないということをわからずに否定してしまうこと、これが一番怖い。
自分を否定されるということは、その人の存在を否定していることに直結しかねない。だとしたら、否定された人からしたら、否定した人は敵とみなされる危険性がある。
例えば、自分のためにしかお金を使わない。って人がいて、親兄弟や友だちにはもちろん、彼女にもお金を使わない、例えば何でも折半。という友人に対して、「それはオカシイ」と否定してはいけないってことだ。
もしかしたら、彼女は折半を悪く思っていないかも知れない。
であれば「女に金を出させるのは!」なんて理論は通用しないことになるし、そもそも論だけれど、彼氏彼女で折半という考え方が間違っているわけではない。
共働きなら夫婦で完全に別財布という家庭もある。
だから、自分の考え方が世間一般的には大多数だとしても、それが正しいと思い込まないことが大切だ。
法治国家の日本では、法律を犯さない限りは間違っているわけではない。そこに加えて、人道的、道徳的、倫理的に反していなければ、問題ないことばかりではないだろうか。
在り方や考え方なんてのは、個々人が勝手に持っているものだから、それを否定するという行為は、むしろ、自分の視野の狭さ、度量の狭さを露呈しているに過ぎないんじゃないかと、ボクは個人的にそう感じている。
議論は大切だけれど、否定や攻撃はしない。
このスタンスで生きていなければ、周りから人がいなくなる可能性は十分にあるだろう。
そんなことを自分の胸に手を当てて考えてみた。
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