彼が亡くなった日、その訃報がボクの元に届かなかった。彼の息子は、必死でボクに伝えなければと、色々な連絡手段を調べたにも関わらず、ボクに届いたのは、随分、後になってからだった。
ボクの人生を支えてくれたあの人の死が、なぜボクにすぐに届かなかったのだろう?そのことについて、自問自答する。
恩人の死がボクに届かなかった理由
ボクの実家は、地元から引っ越していた。そして、ボクは結婚して、実家からも離れていた。携帯の番号も替えてはいたけど、恩人の携帯には登録されていたはずだ。なぜなら、ボクは結婚してからも、恩人と連絡を取って、それから二回くらい会っている。
にも関わらず、ボクに連絡が取れなかった。
彼の息子曰く、携帯につながらなかったために、インターネットでボクの会社の電話番号を調べたらしい。だけど、その頃、ボクは会社の電話は解約していたから、それは不通になっていた。
父親が税理士事務所をしているが、父も事務所の固定電話は解約していて、そこにも連絡はつかない。もちろん、ボクの親の連絡先を息子がするはずもない。
まぁ、恩人の携帯電話については、パスコードの関係で、見ることができなかったんだろうと思う。だから、直接連絡を取る手段がなかったと考えれば、分からなくもない。
ここでひとつ処理しておきたいことがある。それは、彼の息子が手を尽くしたが、連絡が取れなかったという点への疑問だ。だって、息子もボクの電話番号くらいは知っていただろう。LINEも知っていたかも知れない。いや、当時はLINEはなかったのかも知れないな。
一応、悪い方に考えておく。本当に息子は、ボクに連絡を取ろうとしたのだろうか?うん、残念だけど、それはそうだろう。後から知ったことだけど、彼の息子は、ボクに憧れていたらしい。だから、そこに疑念を抱くのは、ムダだ。息子はボクに連絡を取るために必死だったけど、気の動転もあったと思えば、その日に四方八方手を尽くしたことは確かだろう。
届くはずはなかった
では、なぜ、すぐにボクの耳に届かなかったのか?
そもそも、ボクが恩人の死を聞いたのは、確か母からの電話だ。
初七日を終え、気分転換にと、息子は母を連れて、食事に行ったらしい。その先で、弟の職場が近いことを思い出し、弟に訃報を伝え、弟から母に伝わり、ボクに伝わった。
驚きはあったけど、現実味はなかった。今でも信じてはいない。
その後、お仏壇に手を合わせにも行った、お墓参りも行った。だけど、現実味はない。
去年、彼の息子とお酒を飲む機会があった。そのときにも、同じことを言った。現実味がないと。
そして、その時にボクは悟った。
恩人の訃報がボクに届かなかったのは、届かなかったんじゃない。届かせたくなかったのだ。
思春期の間、あの人がいなければ、ボクはもっとクズな人間になっていただろう。それだけたくさんのことを教えてもらっていた。それだけ可愛がってもらった。心の大きな支えだったことは確かだ。
その支えを失ったことを、亡くなった彼の姿を見て、実感していたら、ボクは心が壊れたんじゃないだろうか。だって、ボクはその頃すでに壊れかけていたのだ。そこに追い打ちをかけるようなことをあの人が拒んだんだろう。いつもボクを守ってくれていたんだ。
ボクは、いつも彼に守られていたんだ。だから、今でも亡くなったと思っていない。ボクがこの世にいる限りは、二度と会うことはできないけれど、次に会う時には、ボクにはあなたの支えなんて必要ないくらいの男になっているだろう。だから、その時には、親友として、また朝まで飲み語らいたい。男同士、奇譚なく、あの頃のように語らおう。
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