自己犠牲が尊いという嘘
親子であれば、自然と行われる自己犠牲も成立するのかも知れない。なぜなら、親は子の幸せのために自分を犠牲にすることでも、自分の幸せと感じられるからだ。そもそも、親の最低限の使命は命を紡ぐことだから成立し得る。
だけど、他人との間にこの感覚を抱くことは難しい。あなたが好きな人のために自己犠牲をしていたとして、何も見返りを求めずとも、それがあなたの幸せであれば、或いはそれで良いとも言えるのが知れないが、その場合、一方通行の想いでも良いと信じていなければ、それは不幸だ。
つまり、恋愛成就を願っている段階での自己犠牲には、成就しないというリスクが伴うし、それはあなたの望む幸せではないのではないか?ということだ。
あなたの望む幸せが恋愛成就だとするならば、自己犠牲に見返りを求めていないと言えるだろうか?
その自己犠牲が打算だと言えなくはないだろうか?
そもそも、親子のような間柄でなければ自己犠牲は難しいと言ったように、そこに恣意が含まれるなら、それはもう自己犠牲とは呼べない。
だったら、最初からそんなことをせずに、自分のために、恋愛成就のために、生きるべきだろう。
そもそも、恋愛とは関係なく、自己犠牲は犠牲になるための行為なのだから、そこにはリスクしかない。そのリスクを背負う必要があるのかどうかを考えられずに、ただ自分を犠牲にするのであれば、すぐにでもやめた方が良い。
あなたにとって一番大切なのは、あなたが幸せになることだ。
あなたが幸せになるために、大切な人を優先する。その為の自己犠牲は、犠牲ではない。ちゃんとあなたの幸せに繋がっているからだ。
その上で、相手からも喜ばれることだから、自己犠牲のようだけど、そうではない。
つまり、ムダな犠牲にならないなら、自己犠牲は成り立つと言える。
そして、その犠牲をムダにしないためには、自分を大切にするという視点、考え、生き方が必要だ。
自己犠牲とは、あなたの持つ様々なものをあなたの幸せのために投資することを言うんだと思う。
あなたの持つ様々なものとは、知識、時間、お金、技術、想い、労力などだ。それらを相手に投資することで、あなたが幸せを得られるなら、良し。そうでないなら、悪しってことだ。
そう考えれば、あなたが自分を犠牲にするだけで、幸せになれないのは、ムダだと言える。そんな自己犠牲では、悲しい。
僕は少なくとも、あなたには幸せになって欲しいと想っているから、ここでメッセージを伝えているわけなので、ムダな自己犠牲に苦しまないで欲しい。
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