そこで、ふと思い出したことがあった。その記憶は、たぶん僕が覚えている記憶の中でも二番目くらいに古いような気がする。
一番古いのはそれこそ2〜3歳の頃、手に火傷を負った記憶なんだけど、その次に古い記憶はハッキリとではなく、「あぁ、こんなことしてたなぁ」って朧げながら覚えているもので、ただ「何も考えずにただただ楽しんでいた」という感情の記憶。
僕には兄弟含めていとこが15人ほどいるんだけど、中でもその内5人は、歳が近く、近所だったこともあり、よく遊んでいた。
母方の祖父は人が集まるのが好きだったので、3家族はよく集まって食事をしに行ったりしていたんだけど、人数が10人以上になるから、大体大きめの部屋のあるようなお店が多かった。
大きなお店となると、幼な子たちは遊びたくてうずうずする。時代を問わずそんなもんだろう。
よく怒られもした。
そんな中、祖父の馴染みのある店だけは、他のお客さんに迷惑がかからないよう配慮して、いつも一番奥にある大広間みたいなとこを使わせてくれていた。
もちろん、僕らが遊ぶことも気遣ってくださっての配慮だ。
そこで、毎回ではないんだけれど、子ども同士で考えた寸劇というかままごとの延長線上というか、敵と味方でわちゃわちゃみたいなのを祖父母たちを観客に見せるってことをやっていた。
それをしていたことを思い出したのだ。
演劇云々とかって話ではなくて、これが僕の原体験にあったということだ。
それから時を経て、18歳の頃、僕のステージは祖父母の前から路上、喫茶店、ライブハウスと、より多くの人の前に立つようになった。
それまでの間、僕はそんな記憶に蓋をして、目立たずに生きるよう変わっていった。
ヤンチャ盛りの世代だったから、目立つことも憚られたし、父からも才能がないだのなんだので、目立つことは僕に向いていないんだと思い込んでいたからだ。
だけど、ギターを持ってマイクの前に立ち、スポットライトを浴びることを僕は望んだ。快感だった。快感なのに、向いていないというジレンマに抗いながら音楽と向き合っていた。
僕はいつも自分に許可を出せなかった。
楽しいことで生きる道などないと、常に自分に言い聞かせながら、塞ぎ込むだけの人生を歩み、幼少期の頃、祖父母たちの前で目を輝かせ、楽しくて仕方ないといった感じに何かを演じ遊んでいたボクを置いて、僕は自分が何者なのかも忘れて生きてきたのだった。
自分でも知っている。
僕は目立ちたがり屋だ。いや、目立ちたいというよりも、僕に注目してもらいたいってことだな。承認欲求というより、自己顕示欲が強いんだろう。
30数年も前の記憶など朧げすぎてはいるけれど、あそこに僕の原体験があったのは確かだ。
あれから30数年が経ち、誰も僕を止める者などいなくなった。
さぁ、これから、明日から僕は何がしたい?
ボクがしたかったことを叶えてあげようと思う。
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