何かエサを食べに来たようで、地面から何かをついばんでいる様子をなんとなく眺めていたら、真っ黒だと思っていたカラスの羽が、光の加減でタマムシのように鮮やかに輝くことに驚いた。
だけど、そのカラスはなんだか髪(?)はボサボサだし、右足が不自由みたいで、左足だけ地面につけてぴょんぴょん跳ねて移動してて、美しくはなかった。
カラスの事情は知らないけれど、彼が必死で生きようとしていることだけは伝わる。
キョロキョロと周りを見渡すのは、敵が来ないかを確認しているんだろう。
時にはトンビにすら悪戯をするくせに、ちゃんと辺りを警戒するのは、やはり本能なのか。
食べるという行為の時、動物は無防備になるから、瞬間瞬間にも警戒心を怠ってはいけないんだと思う。
生きながらえる為の行為が命を危うくもさせるんだから、不思議だ。
釣りなんかはそれを逆手に取ってるし、罠なんかも大概そう。
つまり、食べるって行為が強力な本能であることを利用してる。
逆に、餌付けなんかは安心であることを分からせて信頼を得る行為。
同じ食べさせるでも、どちらにも利用できるんだから面白い。
魚ですら、水槽で餌付けすれば懐くんだから、いかに食事が強いのかってことか。
人が食事に誘うときも、同じ。
食事に誘われて緊張するのは、相手に気を許してないから。警戒してるから緊張してしまう。
誘う方は緊張を解く為、警戒しなくていい相手であることを知ってもらうために食事に誘う。
だから、食事を共にするってことは、お互いが安心する為には必要な行為なんだと思う。
その上で、共感したり、疎通をはかったりしながら、親交を深めることが、人の仲を進展させていくんだろうなぁということだ。
ただ出かけるだけでなく、楽しむだけでなく、食事を伴うことで、より深く繋がれるんじゃないかと言うこと。
1人で警戒しながらエサをついばむカラスを見ながら、そんなことを考えたんだとさ。
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