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信念というのは狂気的

生きる活力と言うのか、自分が何者であるかの証明と言うのか、そういう「自我」の支えみたいな精神力を称して「信念」と言うのだろうか。

それがあるのとないのとでは人生における意味みたいなのも違うんだろう。そして、これを持った途端に人は劇的に強くもなれるんじゃないだろうかと思う。

と言うのも、「86」というアニメを観てて、ヒロインが自分の自覚していた信念の甘さを指摘された後に、その信念をより強く持つようになったんだけれど、そこでの激変ぶりがスゴくて、「あぁ、人間ってこんな風に信念を持てたら、とても強く生きられるんやなぁ」と、アニメながらにちょっと胸を打たれてしまったのだ。まぁ、アニメだけに劇的に変わるんだろうけどね。

ただ、ボクには何か信念ってあるんだろうかと同時に思ったわけだ。

彼女のように強い信念でなくとも、もしくは、最初の甘い状態の信念であったとしても、何かしら精神の支えになるような信念ってるのだろうかと。

信念というのは、「正しいと信じる思い・心」のことだと考えているんだけど、ようは自分の中の正義と言い換えてもいいのかも知れない。

正義ってのは、譲れないものとか言ったりもするよね。

そう考えると、なくはない。

だけど、やっぱり信念が甘い状態なのだろうと思う。

件のヒロインの変化は狂気的だと思った。観ているこっちからしたら狂ったというよりも、素晴らしいと思うことなんだけど、彼女の周りの人間からは狂ってると思われるような行為を彼女の正義のために行った。

簡単に言うと、奴隷のように扱われている人たちのために、軍隊の兵器を無断で使用し、彼らの危機を救った。

それまでの彼女も、奴隷たちも人間だと主張して、優しく接していたんだけど、どこかで遠い存在というか、自分の世界とは無関係だと無意識に思っていたから、社会の認識に対して間違いを指摘しながらも、実際に彼らに寄り添えているわけではなかった。

そのことを指摘されたことで、彼女は自分の甘さを認識し、彼らの命を救うだけでなく、自分も一緒に戦わなければならないと考え、越権行為を行った。

突然、人が変わったかのような行動をしたんだけれど、明らかに強くなったと感じた。しっかりと芯を持ったんだと観ていても分かった。

だから、ボクは「オレにもそんな信念が持てるだろうか?」と自分に問うた。彼女がカッコよかったからだ。

甘さというのは、結局は保身から来るんだと思う。

矢面に立つという覚悟が伴わないから、狂気的な信念にならない。

自分より後ろには矢を届かせないという覚悟。

これが狂気的な信念なんだろう。

だけど、気付くことができれば、それは持てるんだと思う。

まだまだ迷いがあるんだなぁと、自分の心の弱さに気付いた瞬間でした。

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