僕は、幸せになった。
背負う人生は、損しかない人生
僕が何かにつけて、背負ってしまうのは性格だった。だけど、この性格は「思い込み」から作り上げた性格だ。
長男として生まれたから、色んなことを背負うことが責務だと信じて生きてきたのだ。
それが僕の人生を狂わせていた。
そもそも「背負う」という捉え方をすると、何事も重い。
仕事だろうと、家事だろうと、関係性だろうと、頼まれごとだろうと、なんだって同じだ。背負うと負担になる可能性がある。いや、背負うんだから、負担になる。
あなたも僕も普通の人だと思うから、何かを背負うほどメンタルが強いわけじゃないのだ。
トップアスリートが日の丸を背負うという負担をこなせるのは、それだけメンタルトレーニングもしているからだろう。それは、覚悟とも言えるかも知れない。腹を括っているとも考えられる。
僕たちも腹を括って、覚悟を決めて、としていると思うんだけど、背負ったもののおろし方も知らないから、背負って背負って背負って、ただシンドくなるだけの生き方をしている。生き方が下手くそなのだ。
上手な人もいる。彼らは僕らとは違う人種だと思った方がいい。
違う人種だから、アドバイスもアドバイスにはならないし、僕らの苦しみは分からないだろう。
こちとら背負いすぎて、適応障害になったんだ。メンタルが病んだことのない人間に分かるはずないだろう。
だけど、僕は背負うことをやめれた。
背負うことをやめて、やめて、やめてとしてたら、幸せの方から歩み寄って来てくれた。
僕の見つけた自問自答のメソッドは、背負うことをやめていく方法と解釈しても良いんだと思う。言い方を変えれば、こころを楽にして幸せになる方法でもある。
ちなみに、背負わないということは、無責任になったわけじゃない。
責務は果たす。果たすことができる。
だけど、これまで背負わなければと勘違いしていた勘違いを正せば、負担ではなくなり、行動だけできる。
だから、自問自答のメソッドは勘違いの正し方って言い方をしてもいい。
まぁ、とにかく、多角的にこころを解放できる方法なのだ。
今すぐ受け止め方を変えなさい
さて、背負いたくなければ、背負うという受け止め方を変えればいいってことになんだけど、受け止め方を変える。これが、自問自答のメソッドの目指すべきところだ。
物事に対する受け止め方を変え続けてきたから、僕は気付けば幸せが舞い込んでくるような、そんな生き方ができるようになったんだと思っている。
仕事がシンドかった。
家事がシンドかった。
育児がシンドかった。
期待がシンドかった。
心配がシンドかった。
生きるのがシンドかった。
僕はそう感じて生きてきた。だけど、自問自答を繰り返していることで…
仕事が楽しくなった。
家事が嬉しくなった。
期待が怖くなくなった。
心配がどうでもよくなった。
生きるのが幸せになった。
そんな風に変われてしまった。
ちなみに、離婚したから、育児はしていないが、子どもたちと会う時も心から楽しんでいるし、純粋にただ愛だけで接することができる。
受け止め方を変えることができれば、今までの生活と同じようなことをしていても、すべてが違う結果となる。
だから、もしあなたが日々シンドいと感じているのだとしたら、受け止め方を変えて、今すぐにその生活をやめて幸せになったらどうだろうか?
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