もし、リンクしているのなら、それは幸せなことだと思う。だけど、こころに違和感を抱いているなら、今していることは、あなたの本当にやりたいことではないのかも知れない。
例えば、ストレスを感じることが多いとか、こころが折れそうになるとか、元気がでない、億劫だとか、そんなネガティブな気持ちになっても、それを乗り越えて行動できないなら、少し自分と向き合ってみると良いかも知れない。
点と点を繋ぐのは、思考である
Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズのあまりにも有名な言葉、点と点が結ばれて、やがて線になるというのは、えてして誰もがそうなるものだと、僕は考えている。
初めてのアルバイトは、製本工場だった。
流れ作業のつまらなさ、同じバイトのガラの悪さ、家からの距離、、、はっきり言って、時給以外は何も良いことはなかったから、三日でやめた。
今書いて思えば、どうも逃げ癖の始まりのような気もするけれど、そんなことより、僕はこの役に立ちそうにない、ムダだったと思える経験さえも、点だと思う。
この経験で、僕は「同じことをやり続けられない」という自分を知れたのだ。
これは、言わば僕の根本的な部分だし、ここを理解してなかったら、社会から我儘で忍耐力のないヤツというレッテルを貼られて、自分でも腐っていっただろうと思う。
職人気質な人と、全くもってそうでない人がいるってことだな。
幸せに生きたいと思わないか?
このように、今思えばだけど、ムダなことはしていない。と言うより、過去の経験をムダにはしないという思考が大事だ。
あの時した失敗、思い出したくもない失態、そんな数々の苦い思い出だって、それをいつまでも悪い思い出として抱え込む人生が幸せだろうか?
それとも、その経験から何かを得ようと考え直し、今後の人生の教訓とする方が幸せだろうか?
後者の方が、よりあなたの人生は豊かになるだろう。考えるまでもない。
人生は、昨日よりも今日、今日よりも明日の方が幸せになろうとして生きるものだ。
だったら、過去に縛られて生きるなんて、バカげているとは思わないだろうか?
そんなに強くないなんて言う人もいるかも知れないけれど、僕は強いわけじゃない。むしろ、弱い。だから、適応障害にだってなった。
ただ、そんな経験から思ったのだ。
僕たちの幸せというのは、誰が決めるものなのか?それは、自分しかいないんじゃないのか?
人が羨む人生が幸せなのか?そうでもないだろう。
あなたにとってはささやかな幸せだって、ある人にとってはとても幸せなことかも知れない。
そんな風に考えれば、幸せになるか、幸せになれるかなんてのは、主観でしかないのだ。
もし、あなたが「自分は不幸だな」と感じているのだとしたら、誰のせいで不幸になっているのか?それは、他でもないあなた自身だ。
もちろん、嫌なことは起こる。ストレスだって環境から与えられることはある。
だけど、それらとどう向き合って、どのように対処するのか、どう受け止めるのかは、いつだってあなたにかかっている。
戦うのか、逃げるのか、流すのか、どれを選択するかは僕が決めることではないし、親兄弟が決めることでもない。
それを誰かのせいにして生きるのも、あなたが自分で決めたことでしかない。
点はいつもあなたの足元にある
あなたが、今自分のやりたいことが出来ていないのだとしたら、それは過去の経験から何も学んでいないのかも知れない。別の言葉で言えば、あなた自身と向き合えていないのかも知れない。
いつも誰かのせいにして生きていないだろうか?
時間がない、タイミングじゃない、人がいないなどと言い訳ばかりしていないだろうか?
ニーチェの言葉に、源泉は足元にあるというものがある。
幸せになるための種は既にあなたも植えていきているはずだ。自分の足元に何があるのかをしっかりと見ようとしないで、空に浮かぶ雲を羨んだって仕方がないだろう。
写真でみる景色がキレイだとため息をつくよりも、実際にその景色を見に行こうとしなければ、幸せになんてなれるはずはないだろう。
だから、考えることは大切なのだ。
どうすれば、あなたはやりたいことが出来るのか?過去の経験は、今もしくはこの先、どのように幸せに結び付けられるのか?あなたはなぜそう感じ、そのように行動するのか?
いろんなことを考えて、自分を知ることができれば、それは幸せな人生への第一歩だ。
点と点を線へとつなぐ思考というのは、そうやって過去を見つめ直すことで生まれる。
点に意味を見つけることができるようなれば、毎日の出来事も行動も、全てに意味があるように思える。そんな人生を過ごせることが、幸せなんだと僕は思う。
人生を幸せに変える教え
実は、人生を幸せに変えるための思考というのは、存在する。
そんな思考法を書いたレポートを無料で公開中なので、幸せに変えたい人は、ぜひURL先から手に入れて、人生を幸せに変えて欲しい。
それが、あなたの疲れた心を癒やす方法にもなると僕は信じている。