仮に上手くまとまらなくても、ブログなら後から修正できる点が、動画にはない大きなメリットだなぁと、今さらブログの融通を知る。
その優しさは誰のための優しさか?
誰かに優しくされることは、素直に嬉しいことの方が多いんだけれど、要らない優しさというのも経験された人は多いだろう。
これは、相手に悪気はなく、純粋な優しさなのであれば、受け手がどう受け止めるかに関わる問題なので、ストレスを感じるのなら、自問自答して素直に受け入れられる自分になることもできると思う。
たまたまイライラしてたとか、自分のルールに合わないだとか、価値観が違うとかは、相手に問題があるんじゃなく、自分に問題があると考えた方が良い。
なぜかと言うと、あなたが変えられるのは、あなた自身しかいない。あなたが他人を変えることは不可能だからだ。
僕たちが自分以外の他人にできることは、気付きを与えること、行動や決断を促すことのみで、力任せに他人をどうこうするなんてことは出来ない。
そして、ネガティブな思いを抱き続けるくらいなら、離れるか受容できる自分になって、こころが疲れないようにするしかない。
それは今必要な優しさか?
逆に、あなたが人に優しくするときも、その優しさが誰のためなのかを知らなければならない。優しくするのはその人のためなのか、そうではないのかを理解せずに優しくすることは、歪みを生む。
優しくすることは良いことだ。だけど、その時に取るべき優しき行動は何が正解なのかを考えずに、自分の思いだけで優しくするのは危険なのだ。
ただ、あなたがここまでのことを理解できる人で、実践できる人ならいい。僕がテーマに取り上げている「怖さ」は、こんな優しさではないのだ。
ここまでに書いたことは、普通の優しさだ。その優しさですら、問題になることがあるから、念の為、弁えておこうね程度の話をしたまで。わざわざ、記事にせずとも、僕に言わなくても分かってることだろう。
エゴを満たすための優しさ
これが「怖い」優しさだ。いや、これは本当はちっとも優しさなんかではないんだけれど、とりあえず今は優しさと呼ぶことにする。
誰にでも良い顔をする人、面倒見の良い人、世話好きの人、人の問題に首を突っ込みたがる人、でしゃばりな人、しきりたがる人などなど、、、こんな類の人をあなたも知っているだろう。
これで全てかは分からないけれど、こう言った類に属する人たちから優しくされた時には、注意が必要だ。
彼らの優しさを間に受けてはいけないし、ほだされてもいけない。
見出しからも分かる通り、その優しさはあなたに向けられていない。優しくすることで満たされるのはあなたではなく、本人のエゴだ。
エゴが悪いとは言わないが、その為に優しさを正義のように振りかざすのは許せない。
ただ、困った事に、彼らの中には、エゴを満たしたいという欲に気付かず、優しくしている自分に酔いしれながら、果敢に優しくしてくるモンスターもいる。
このタイプが最も危ない。すぐに距離を置いた方が良い。
気付いていないのに酔いしれるってのも変な表現だけど、エゴへの認識はないくせに、優しくしてると気持ちは良いのだ。役に立ってると思えるからだと考えられる。
魔の手に搦め取られる
しかし、やたらと優しくされると、例えば、相談したら親身にアドバイスくれるとかってされると、こころが弱っていればいるほど、その優しさに溺れてしまう。
相手が誰のために優しくしているのか気付けやしないのだ。
だから、僕は優しさの判断ができるようになった方が良いと書いたんだけど、こころが弱っていると、それは難しい。
よって、魔の手に搦め取られることを防ぐことは困難だし、相手は正しいことをしてると思い込んで、さらには気持ち良くなってるから、止めようがない。
なんとかならないのか?
これをなんとかするには、優しくされる時の段階を自分の中で把握しとくしかない。
この手の人たちは、エゴに動かされ、自分の出番だと息巻き、加速するから、やたら「積極性」を持って、優しく接してくるだろう。
積極的だから、段階をすっ飛ばしてくる。そこを逆手に取って、判断基準とすることで、「あれ?この人の優しさって怖いヤツじゃね?」と気付くことができるはずだ。
人に優しくする時、察してする優しさは別として、普通はコミュニケーションを取る。
そして、ここには段階があるものだ。
通常であれば、「何か悩んでいるの?」と質問して、「良かったら話を聞こうか?」などと提案するだろう。そして、話を聞いて、求められればアドバイスをするし、もしくは求められてなくとも、差し出がましいことを承知でやんわりとアドバイスをする。大抵はこれで終わりだ。
ここでポイントとなるのは、あなたに問うているかどうか?だ。つまり、あなたの意思のもとで行動をしているかどうか。
勝手な思い込みで動かれたらたまったもんじゃないってことだ。
ましてや、勝手に解決してあげようなんて、厚かましい話にも程があるだろう。だけど、そこまでしかねないのだ。
そして、こころが弱っている時には、それを有り難いかのようにかんちがいしてしまうことがあるから、怖い。本当に怖い。
優しさとは何か?
あなたの意思を確認し、その上で行動してくれる。これが優しさの一つの在り方だと僕は思う。
察して動くことももちろん優しさだけど、勘違いもあるから、そこは如何に相手を知っての勘なのかってとこだろう。
優しさというのは、相手のためを思いやっての行動だから、思い込みで勝手に行う行動ではないし、ましてや、エゴのために行うものではない。
こういった怖い優しさには、違和感も伴うし、後から問題や後悔を連れてくることもあるだろう。だから、未然に察知する方法を知っておいて損はないと思う。
ちなみに、後から起こることについては相手からしても、あなただけの問題であって、彼らには関係ないと思っているし、責任なんて感じるはずもない。
振り回されて、後であなたが苦しむくらいなら、最初から優しくされないように、回避して欲しい。
それが難しいなら、せめてこころを閉ざそう。
そもそも、本当にあなたのためを思いやってくれる人なら、あなたの話をちゃんと聞き、あなたの意思を尊重した行動しかしないはずだ。
つまり、結論としては、求めてもいない行動をする人にはご注意をってことだな。
これで自分の中では粗方まとまったので、またYoutubeの方でも取り上げてみようと思う。
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