来年はどうだとか、半年後はどうだとか、実際のところ考えるだけムダなことに思案を巡らせてしまう。
明日さえ生きていられる保証はないのに。
未来のことを考える意味
では、なぜ明日以降のことを考えるのだろうか?
不安になるためなら考えなくて良いはずだけど、考えてしまう。
僕が思うに、先のことを考えること自体は、やめられないと思う。だから、考えてしまうことをどうこうすることは不可能だと考える方が良い。
そこで、なぜ考えるのか?にちゃんとした理由を持たせることで、先のことを考えても不安にならないような受け止め方に変えることができないか?と思うのだ。
焦点としては、僕たちは「今」この瞬間しか生きていない訳だから、そこにポジティブを持って来たい。
例えば、3日後のことを考えるとしても、そこから逆算して「今」何をすることで3日後の不安を取り除けるか?もしくは不安を希望に変えることができるか?って視点を持てれば、ポジティブになれないだろうか?
要はこういうことだ。
今生きていることが100%希望に満ちるとか、精一杯だから悔いなく生きていられるとか、そういう風に持って来れたら良いのだ。
だから、来年のことでも、半年後のことでも、逆算をして、今に焦点を当てる。
そして、今というのは次の瞬間や明日のための今だから、と考えられれば、例え今惰眠を貪ったとしても、それは明日をよりよくするための選択だから、ポジティブな行為だと思える。
昼寝の正当性はこうして保たれるのではないだろうか?
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