自然を愛でる暇もなく、次の季節から次の季節へと移り変わっているような、もしくは、これまでの肌感とは違う新しい季節の巡り方がやってきたかのような、そんな変動を感じざるを得ない。
動物も植物も、気候に合わせて変化してきたはずだけど、ここまで目まぐるしくなると、変化は追いつかずに、衰退してしまうんじゃないだろうかと、一般市民の僕でさえ危ぶんでしまう。
ところで、季節の巡りってのは、時間の経過と同様に感じているけれど、先日面白い話を聞いて、「なるほど」と思ったことがあった。
実は、時間と言うのは、未来から流れてきて、過去へと通り過ぎ去っていく。というものだ。
言われてみれば、なるほどって思う。
僕らは過去から未来へ行くようなイメージを持っているけれど、そうではなく、今は常に変わらず「ココ」にあって、未来という時間からココにやって来て、ココから過去へと通り過ぎるというのは、日本人的な感覚に合ってる。
時間は今の連続でしかないのだから、時間だけが流れているのであって、僕らが時間を流れている訳ではないってことだ。
例えば、明日13時にどこそこへ行く。という約束があったとすれば、その約束の時間がやって来るから、僕らはどこそこへ行くわけで、約束をした過去が積み重なってどこそこに来たわけではない。その時間が来なければ、もしくは過ぎ去った過去なら、どこそこへ行く必要はない。
だから、時間は未来から今へと流れてきてる。
これは、ある意味で引き寄せの法則とも似ているのかも知れない。
「2022年4月30日に100万円が入ってきます」
と言えば、脳はそれを実現させるために、あらゆる情報を探す。そこに向かおうとするから、実現させられる訳だ。
行動するから実現できる訳だけど、言葉にした途端、2022年4月30日には100万円が存在していて、後はそれをどう引き寄せるか?ってことで、だから引き寄せの法則と呼ばれるんだろう。
これはらとても面白い。概念的な話でしかないけれど、興味深い。
時間から流れてくるのであれば、僕らが願い、行動したことが実現しない方がおかしいとさえ思える。
これが逆に過去から積み重ねてとなると、死に物狂いで努力してって発想になるんだろうけど、未来から来る場合は、如何に引き寄せるかの方法を考えれば良くなるから、精神的にポジティブだ。
こんな思想を古来から日本人は持っていて、それが明治以降に逆になってしまったそうだ。
でも、先の大戦で戦った兵隊さんたちは、未来の日本、今を生きる僕たちの幸せを望んで身を投じ、そして、それは傀儡であったとしても実現はしていることを思えば、思想的に変わったとしても、戦前までは精神的に、理解してたんじゃなかろうか?
時間は未来から流れてくるもので、未来へ未来へと想いを投げれば、その想いはやがて「今」を生きる僕たちの元へ流れ着くと知っていたからこそ、国のためではなく、未来の日本人のために戦えたんだと思う。
僕たちは未来にどんな想いを投げられるだろうか。どうすればその想いをしっかり未来へと紡ぐことができるだろうか。
今があるから未来があるのではなく、未来があるから今がある。今があるから過去がある。そんな風に考えると、生き方も少しは変わりそうだ。
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