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起きれる時に起きて、寝たい時に眠れる生活

食べたいものを食べて、やりたいことをやって、そんな生活は、まだ少し先のお話だけど、ボクは今、起きたい時間に起きているし、寝たい時間に寝ている。

より正確に言うと、体が起きれば起きるし、体が眠くなれば寝る。そんな生活だ。

就職もしてない自営業だし、人と会う約束も月に1〜2回しかない。なんならその約束さえも午後にしているから、約束なんぞに睡眠を邪魔させることはない。

唯一睡眠の邪魔するものは電話だから、それも起きるまではサイレントにしている。多少のリスクはあるけれど、そんな低頻度なリスクのために、日々の生活をリスクに晒したくはない。

睡眠が大事って思ってる訳ではなくて、ボクの自由意思が大事なのだ。

誰かと生活を共にすると、どちらかの生活音や生活リズムで妨げられることは発生する。

もちろん、それが同調していれば問題ないが、スケジュールが異なれば、そうでないこともあるだろう。

幸い、ボクも女神ちゃんも午前中にスケジュールを入れない点ではリズムが合ってるから、その点はいずれ共に住むとなっても問題にはならないだろう。

それはさておき、食餌ややりたいことに関しては、少し先と書いたけれど、それは完全に小悪するのがという意味で、今でも食べたいものは食べてるし、やりたいことをしている。

単純に質の問題だ。つまり、お金の問題。

稼ぎが増えれば、同じトンカツでも「より美味しいトンカツ」をとなるだろう。

同じ旅行でも「より良い宿」となるだろう。

かと言って、財布と相談するわけでもないんだけれど、、、それで良いと自分が思えれば、かつやでもいいし、こっちにはないけれど、かつくらでもいいわけだ。

だから、今でも大概自由。

ただ自由ではあるけれど、まだまだボクの求めている自由ではないから、貪欲に求める。実現させるし、自由に終わりはない。

今は、生活できること。が最低限の自由を担保するが、実際は快適に生活できること。充実した生活ができること。と自由の欲求も上がる。

だから、自由に終わりはない。

起きれる時に起きてるけれど、睡眠の質が良いとは言えない。

寝具にもこだわるだろう。

睡眠前後の習慣にもこだわるかも知れない。

より健やかな自由だって求め出すだろう。

自由を求めるボクは欲深いと思う。

自由を求めながら不自由に身を置いているのは滑稽だけれど、滑稽さが一つずつ取り除かれているのが現実。

ただ、そんなオレで面白味はあるのか?なんてことも思わなくもないけれど、、、

完璧なパーフェクトヒューマンを目指すか、不完全な自称パーフェクトヒューマンになるか。

いや、どちらにしてもパーフェクトヒューマンからパーフェクトヒューマンになるだけなら、既に名乗っても問題ないのか?

いやいや、何を言ってるのかちょっとどころか全く意味がわからない。

まぁ、自分なりに自由を手にし始めたボクは、もはや自称パーフェクトヒューマンでいいだろうってことだ。

少なくとも、自分の中で一番価値の高い「時間」を自分の自由にできているのだから。

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