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感情の押し付けをするギルティな人々

僕自身も知らず知らずの内にやってしまうことでもあるから、反省と自戒を込めて、この記事を書こうと思う。

あなたは、自分のこころの弱さを隠して、というかそれに気付かないフリをして、誰かに感情を押し付けていないだろうか?

僕は、この行動はとてもギルティだと思う。

自分の闇には目を向けない人たち

僕が今でも一番「負担」だと感じる人の感情は、怒りでも哀しみでもなくて「心配」だ。

危険を心配するのは分かる。

だけど、何の危険もなく、ただ普通に生きているだけなのに、心配だ、心配だと言う理解し難い人種がいる。

僕はそういう人たちは、僕のことを何も信用していないんだと感じている。

そして、その心配という押し付けてくる感情の裏に、彼らの本心が隠されていることも知っている。

だけど、本人に自覚はないんだから、仕方ない。

感情の自動書き換え

簡潔に書くと、彼らの心配は、広義での寂しさから来ている。

寂しいんだけど、それを露わにすると自分のこころが弱るから、別の感情に置き換えて、誰かに押し付けることで、あたかも本人に理があるように振る舞う。

いやいや、自分を満たしたいだけやないかい。と思われているとも知らずに。。。

素直に寂しいと言われても僕は反応しないけどね。

ただ、こっちが心配かけてるみたいに思われてるのが腹立つよね。

普通に生きてるだけやのに。

今日は内容が短いけれど、的を射てると思う。

自分の感情を素直に掬うことをしてないと、こんな歪みを抱えてしまうんやなぁと気付いたので、書いてみた。

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