いや、いっときはやめても良いと思った。僕がゾッコンになったのは、温もりを知ってからだ。
14歳ではじめてエレキギターを与えられた。
そして、17〜18歳の頃にフォークギターを触った。その時から、僕はギターの本当の魅力を、その魔力を知った。
僕にとってフォークギターだけが温もりを教えてくれる存在だった時期が確かにあった。
齢17〜18歳、多感な時期にそれを教えてくれたのは親でも友だちでも女でもなく、フォークギターだった。
生木の温もり、生で奏でる音の温もり、それが僕の人生を大きく変えた。
同時にゆずと出逢ったことも運命と呼べるだろう。
時はビジュアル系志向の時代だったけれど、そこに生音だけで勝負する彼らの姿は、僕にとって衝撃だった。
電子なんてなくても、極端に言えば、飾らなくても自分を伝えることができるんだ!と、ゆずはそれを体現する存在だった。
当時の僕は周りにエレキが上手いやつが2人いて、そいつらを超えれないことに嫌気が差していた。
それ以前に、14歳にして既に親父から「お前は才能がない」と釘を刺されていたから、拍車をかけて「本当にムリなんだ」としょぼくれていた。
別にギターでプロになりたかったわけじゃない。
ただ、自己表現の道具となるはずだったギターさえも自分の手に余る、そんな風に思っていた。
僕には自分を自分たらしめる何かが欲しかったけれど、それを許されなかったし、故に自分でも許せなかった上に、最初から「やっても意味はない」と言われていたのだ。
まぁ、その話をしだすと親父を憎むことしかないので、今さらだからやめておく。
26年経った今となっては、僕のギターは少なくとも自分の周りに集まる人くらいは喜ばせられる存在になってくれたのだから。
それに加えて、作詞も作曲も(今のところ)湧き出るように作る才能もあった訳だから、フォークギターを手にすべくして手にしたんだと思う。
ギターがなければ、表現の仕方を知らぬまま、僕は腐っていただろうし、この世にいたかさえも怪しい。
時間も忘れて、無我夢中で、没頭できる趣味を持てたこと、これもまた生きる糧になり得ているのだろう。
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