祖父や父の年賀状をワープロで宛名も裏面も刷ってあげていたからだ。
思い返せば、あれがデジタルを使ったビジネスの始まりとも言える。
今はもう年賀状自体出さないし、誰の住所も知らないし、誰も住所を知らない僕に年賀状が届くこともない。
仮に届いたとしても、それはデジタルで作られたモノだろう。
だから手書きが大事だ。とは思わない。
僕が思うのは、こんな時代だからこそ手書きの価値が高まった。ということだ。
だから、手書きは使い所を押さえなければいけない。
年賀状はすべて手書きも良いけれど、本当に大切な人にだけ手書きでも良いわけだ。
先日、お世話になってる会社のサンキューカード、いわゆるお礼状のポストカードをデザインして納品した。
宛名面は手書きできる仕様だ。
それを早速使うように提案もした。まぁ、手書きは少し手間だから何度もお尻叩かないといけないかも知れないけれど、とにかくすぐに出した方が良いと。
面白いもので、企業から届いたハガキでも手書きの部分は読む。そして、なんとなくこんなご時世だからか、捨てづらい。
企業にとって、それは大変重要なことだ。
なぜなら、人間は忘れる生き物だから。
床屋の扉をくぐって外に出た瞬間から、もう床屋のことを思い返すことはない。次のタイミングは、髪が伸びた時だ。それまで忘れ去られる。
もしかしたら、そのまま忘れられるかも知れないし、その間に他所のお店の噂を聞いて、選択肢から外されるかも知れない。
人は忘れると同時に、その時近くに感じる存在を選びがちでもある。
だから、思い出してもらうタイミングは何度も何度も作らなくてはならない。
その為には、コンタクトをとるしかない。
だけど、訪問も電話もメールもウザい。
何度もシツコいと嫌われる。
だからこそ、郵便受けしかない。
そして、ライバルでパンパンの郵便受けから選ばれる仕組みも必要だ。
それを手書きが解決してくれるかも知れない。かもと言ったのは、可能性は多いにあるが、確実とは約束出来ないからだ。この点が口惜しくはある。
でも、やる価値はある。
そうやって郵便受けの戦争に目を向けて、勝つための方法を提案するのがマーケターの仕事でもある。
手書きだけじゃなくて、色々ある。
これから、その色々を試していけるのかと思うと、楽しみだ。
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