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幸せに包まれるではなく、幸せは内から溢れ出す

ボクは、ずーーーっと、幸せを感じたいと思っていた。だけど、その時のイメージは「幸せに包み込まれる」ようなものだった。ただ、ここ2日ほどで、幸せはそこにあり、その幸せに触れたときに感じられるものではなく、自分の内から生まれるものだと知った。つまり、溢れ出た幸せに包み込まれることしかない。幸せはいつも、自分の内からしか生まれないのだ。

今日、子どもの頃以来だろうか、野原の上を裸足で歩き、大地の上に寝転んで、ただただ蒼い空を見上げていた。鳥のさえずり、ほほを伝う風、宙を舞う綿毛、太陽の眩しさ、温かさ、自然をただ感じるだけの時間を少しだけ過ごした。左手には大好きな人の手の温もりを感じていた。

心の中も頭の中も何もない。ただ感じているだけの時間。嘘のように空っぽの状態なのに、満たされていくものがあった。

『あぁ、幸せやなぁ』

ボクの中に芽生えたのは、その感情だけだった。

帰る道中、高速道路の面白おかしくもない景色を見ながら、なんてクッキリと世界が見えるんだと感じたときに、「あ、オレ幸せに満たされてるからや」ってことに気付いた。

その幸せはふつふつと心の中から溢れ出ていた。そこで知ったのが、冒頭のようなことだ。

これまで、ずっと自分を偽っていたボクはもういない。まだ、癖は抜けてないけれど、それも都度反省し、気付きを得ようとしている。だから、ボクはまだまだこの修行を終えることはない。なんなら、もっとディープにしよとも思っている。

これまでに書いていることだって、大概晒してるんだけど、これでもやんわり書いてるとこはある。実は。

なので、今後はそう言ったディープな記事も書くつもりだけど、それは簡単に公開できないので、一部の人にしか見ることのできないコンテンツとして投稿する予定だ。

どういった方法で見られるようになるのかはお楽しみとして、よりディープってことは、気付きに至る過程もディープだから、もしあなたがボクと同じように、今の自分を変えたいと願う人なら、より多くの学びを気付きを得られるだろう。

自分と向き合うことからは逃げてはいけない。言い訳はもうたくさんだ。向き合えない弱さとも向き合って、強くなれないなら、前進はない。だけど、あなたが昨日と同じ自分で満足しているなら、それでいい。ボクはボク。あなたはあなただから。

こんなことを考えながら、ボクは今も幸せに満たされ、前進しようとしている。まぁ、疲れたときには、頭も心も空っぽにしに自然の中に身を投じてみるのもいいよってお話なんだけどね。

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