行動指針は生きる視点の基準となる
こないだまでのボクは、「愛する」なんてことを信念にしていたが、この不確定というか不確実というか、愛なんてものは言葉で説明することが難しいから、しっくり来てなかった。でも、それを自分の信念やと信じて生きていた。
お陰で、なかなか苦しんだ。
愛ってのは、なかなかに高尚なものなので、自分がそのレベルに達してないなら、違和感しか生まれない。その違和感のままで行動しても、おかしなことになるだけだった。
行動指針「一日一善」
で、最近のボクの指針は「一日一善」としている。
これは分かりやすい。一善の基準なんかは自分が善いと思うことであればそれでいい。例えば、母親を買い物に連れて行くでもいい。執筆日で言えば、自販機の前に落ちていたボトルのフタをゴミ箱に捨てた。
ようは、自分の心が清らかになるとか、朗らかになるとか、善いことをしたと感じられさえすればよい。
この行動指針にしてから、物事の見方が少しずつだけど変化している。具体的に言葉にするのは難しいんだけど、自分の心に素直な行動を取りたいと考えるようになった。
ただ、素直な行動と言っても、その行動の先に自分の成長があるのか、誰かのためになっているのか、という点なども考慮した上で、素直に決める。
例えば、「怖い」と感じることなら、やればいい。「嫌だ」と感じることなら、やらなければいい。恐怖心の克服は、自分の成長だ。嫌なことはストレスになるから必要ない。ただ、恐怖に晒され続けることはやめた方がよいが。。。
実は、この「一日一善」は別の言い方をすれば、「徳を積む」とも言える。
心持ちの大切さに気付かされた
大切な女性との会話の中で、「徳を積む」ことについて少し話していた。そして、その翌日あたりに、ふと気付いたことがあった。
彼女の行動や思想のベースには「徳を積む」「功徳を施す」という信念つまり、行動指針があるんじゃないかと。そうひらめいた瞬間から、自分の仕事や生き方、人との接し方など、いろんなことに対して「徳を積む」ことをベースに行動した方が、人生は楽しく、明るく、何事にも感謝して、生きていけるのではないかと。。。
気付いたのは最近のことだけど、やはり変化はある。
例えば、お昼をお店で食べようとしたとき、目の前に運ばれてきたハンバーグを見て、有り難いと感じた。「いただきます」も心から出た。運んでくれた店員さん、お店などにも同時に感謝の念を抱き、「ごちそうさまでした」と感謝を込めて食べ終えることができた。
その後、外に出たときの空の青さ、風の心地よさは、素晴らしかった。
善いことを進んで行おうと思い、実際に自分の行動が善いことだと思えるだけで、感謝が湧き上がる瞬間が増える。ボクの場合の話だが、これは事実だ。今目の前にあるすべての物事に感謝できることが、どれほど素晴らしいことなのだろう。それだけで、自分の幸せを噛みしめることができる。自分は幸せなのだと、認識できる。
行動指針のまとめ
ボクの中にできた行動指針「一日一善」「日々徳を積む」というのは、何も難しいことじゃない。むしろ、意識さえできれば、簡単に実行できる。だけど、そんなことを意識して行うだけで、不思議と変化は訪れる。それを繰り返すことで、成長も促されるだろう。
この先、ボクは何度も素晴らしい世界に気付き、感動し、その度に感謝を覚え、少しずつ優しさを覚えていくのだろう。そして、大きな愛を持つことができるのだと、ボクの目指す場所がそこだから、確実にそこに向かっていると、入り口の正しさを実感している。
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