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死生観と人の死と

先日、僕の死生観について色々と書いたばかりだけど、先ほど親戚の叔父が急死したと連絡を受けた。

正確なことは分からないけれど、どうもある手術だか医療器具の取り付けだか、何かの際に誤って喉を傷付けてしまい、出血死したとか、、、何それ?

人為的なミスで死に追いやられるってのは、殺人じゃないのか?そんな死は認められない。

僕がそうであったとしても、きっとそれは許せないと思う。

かつて、祖父も似たような感じで、喉に医療器具をつけた際に突如苦しがり、そこから意識を失って数時間後に亡くなった。しかも、今回も同じ病院でのことだ。

亡くなった叔父は、僕がフォークギターをはじめてから、自分が出いてるライブに呼んでくれては、ステージにも立たせてくれたりして、本当に音楽ではお世話になった。

この叔父の影響で音楽をさらに好きになれたし、幅が広がった。

何も技術的なことは教えてくれなかったから、音楽の師とは言わないが、甥として可愛がってくれたってとこだろうか。

死因は理解できないし、死を受け入れるには突然過ぎるけれど、きっと死ぬまで音楽を楽しんでいたとは思う。

ただ、昨日まで母とメールでやり取りしてたらしいから、ちと受け入れ難い死だ。

だけど、僕たちは人の死を受け入れるしかない。

自分が生きるために人の死を避けては生きていけない。

でも、僕は人の死を目の当たりにしたくはないとも思っている。心の中で、記憶の中で生きているまま、またどこかで会えると信じたまま、僕は生きたいとも思っている。

それは卑怯なのかも知れない。人でなしなのかも知れない。だけど、自分の死以上に、僕は人の死が怖いんだと思う。

だからこそ、叔父の死とは対面しようと思う。

きっと、ここを乗り越えないと、これからも僕は言い訳をして生きそうな気がする。

自分勝手な話だけれど、僕自身がツラいことから逃げることをやめるためにも、たくさんの涙を流して、別れを告げてこよう。

人の死から僕は何を学べるのか、生きていく僕たちにとって、それは大切なことだと思うから、向き合ってこよう。

それにしても、これが医療ミスならと思うと、、、本当に許せない。もし自分の親だとしたら、それも天命だと言い聞かせて、その死に意味をみつけて生きていけるのだろうか、、、 

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