「なんでこんなことになるんや」
「なんでこんな目に遭うんや」
そんなことを思う時、誰かを責めるか、自分を責めるか、人はそう考える。
誰かを責めれば、気は楽だけど、解決にはならない。
自分を責めれば、ただただしんどくて、その先に光明は見えない。
どちらの選択も正しくはない。
だけど、せめて自分を救いたいなら前者を選ぶことも多いだろう。
自分を責めたら、かつてのボクのように精神をやられてしまうこともあるから、そうなるくらいなら、誰かを責めた方が良いのかも知れない。
でも、その選択は、繰り返されるだけ。何かある度に人を責めて、現実と向き合わなくなる。
だから、これらの選択では成長はない。前進はない。明るい未来が来ることはないだろう。
だったら、どうすればいい?
それは、第三の選択肢しかない。
起こった現実、今いる現実、感じている現実、そこにいる自分に目を向けるしかない。
「責める」のではなく、「解決しよう」とする。
物事の大半は、自分自身の受け止め方によって180度在り方が変わる。
だから、受け止め方を変えるようにする。
受け止め方を変えるには、自分の思考と向き合わなければいけない。
「なぜあんな風に考えたのか?」
「あんな風に考えるのは、何か理由があるんじゃないか」
「その理由ってなんだ?」
のように、自分の思考を深掘りして行く。
これは、自分の内なる声に耳を傾ける行為だ。
この行為を繰り返すことで、自分が本当に在りたいと願っている姿に近づける。
なぜかと言うと、内なる声は自分が望む願望だからだ。
その願望は、自分の今の姿が乖離しているからこそ聞こえる。
つまり、ある問題に対して、本当の自分なら起こさない、起こしても動じないなど、対処できたはずなのだ。
もしくは、次起こる問題への予防とも言える。
こういう自分であれば、この問題にはこう対処できるだろう。ということだ。
どちらにしても、自分の望む自分であることができれば、問題が問題ではなくなる。
楽に対処もできるし、そもそも起きないかも知れない。
そんな自分になるために、自問自答という方法は正しいアプローチやと思う。
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