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本音

本音って不思議な言葉だ。

本心なら、本当の気持ちという意味も漢字から読み取れるけど、本音は漢字からじゃ本当の気持ちという意味だと分からない。

言葉の意味を知ってるから、本音と使えるだけで、なぜこの漢字が当てられているのかを知っている訳じゃない。

そもそも、本って字は木の根元に目印を付けた状態らしいから、本は古くは道標的な意味で使われていたのかも知れない。

根元をあらわすことから、写経などの元となる書物のことも本と呼ぶようになったんだとか。

つまり、本というのは根元のことだから、本心が建前に隠されている気持ちであることは、やはり理解しやすいわけだ。

だったら、音ってなんだろうか?

本音も建前に隠された気持ちだけれど、 根元にある音と言うのはなんだ?

一般的な漢字の成り立ちでは、音は口から発する振動のこと、つまり声とか言葉が伝わる原理をあらわす言葉と言えばいいのだろうか?そういう風に紹介されている。

だけど、字訓など独自の解釈で漢字を紐解いた古代漢字研究の第一人者白川静香先生の解釈によると、音は人の祈りに対しての神からのお告げらしい。

なるほど。

前者の解釈の場合、音は単に振動という現象に過ぎないので、本音も根元の振動ってことになり、ニュアンスとして伝わらなくもないけれど、納得のいく解釈まで時間がかかりそうだ。

一方で、音が神のお告げということは、そもそも「人」の「ひ」は「霊」と書き、それは自分の中に存在している神のことだから、合点がいく。

つまり、自分の中にいる神さまが伝えたいことこそが、本音なのだ。

だから、本音を伝えることは勇気がいるし、怖くもなるし、時に泪さえ溢れる。

神の言葉を伝えるのだから、器である身体は相応の反応を示すわけだ。

本音。

僕は本音を書くことであらわしてきた。

だけど、それを言葉にすると、口にすると、全く別の者が言っているような感覚になる。

自分で書いておきながら、こんな風に想い、こんなことを感じていたのかと、驚くのだ。

それほどまでに、口から発する言葉として、本音を告げることは尊いことなのだろう。

そんなことをデフォルトにしたら、人生は一体どうなってしまうんだろうか?

等身大の自分に神がハッキリと宿るのだろうか?いや、一体化されるのだろうか?

自分の中に神がいるなんて、狂ってる発想っぽいけれど、きっと昔の人は「心」と体を切り離して考えていたんだろう。

「心」とは自分の中に宿る神聖な存在なんだと。

直感に従うってのも、お告げみたいなもんだから、きっと昔の人の考え方は正しいんだと思う。

自分であって、自分ではない。

だけど、それは敬うべき存在であって、他人でも敵でもない。

そんな心を愛し、敬い、慈しむことを日本人はして来てたんじゃなかろうか。

そのDNAがあるから、本音なんていう言葉を当てたんだと思う。

本音を告げることは、自分の本当の姿を知ることでもあるんだな。

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