まぁ、現実逃避して生きる宛なく彷徨ったんやから、そりゃ病気と診断されても然るべきかも知れないし、今は病気でもなんでえぇわって感じに思えるようになったから、そうです、ボクは適応障害者なんです。と自己肯定しておく。
適応障害のボクにとって、必要なことは、環境を全く変えることと言われた。
住む環境は彦根から実家に変わったものの、それ以外はどうか?
彦根で抱えていた仕事は軒並み手放した。
でも、それ以外にも残ったまま、燻っているものがあって、それは環境の変化の外やと思っていた。
昔からの仕事、実家に住むと言うボクにとってのストレスは、見て見ぬふりをしていた。
だけど、それらも本当は手放したかった。
根本的な環境は、彦根云々よりもソコにあったからだ。そもそも、ボクは実家から解放されたくて結婚したようなところがある。
にも関わらず、そこに戻って環境の変化ができた気でいたのだから、お笑い草だろう。
いやいや、あなた元に戻って、また自分苦しめてますやん?ってことだ。
結局、ボクは鳥籠から鳥籠へ移っただけで、籠の外に出ることが出来ていなかった。ボクを適応障害と診断した医師の言う「環境の変化」ってのは、「あなたがストレスを感じることから、距離を取りなさい」ってことなのにだ。
確かにそれは難しい。ある意味どちらもコンフォートゾーンでもあるからだ。
そこにいれば守られるというおまじないを信じて、ストレスに苦しむ自分を押し殺して、何も変わらない自分が嫌いになっていっていた。
コンフォートゾーンで成長なんぞあるかいや。
だから、女神ちゃんと出会ってからの数々の出来事は、ボクにとってとても重要なことばかりだった。
それは、あたかもボクの可能性を探るというか、可能性に触れる旅のようで、時間も距離もお金も、空間さえも超越した先の世界を垣間見るような感覚だ。
この先に待つ世界なんて、ボクには何も分からない。いや、そもそもわかろうとすること自体おこがましい。
分かる前に入る。入ってはじめて見える景色があり、気付くことがあって、世界の広さを、世界の可能性を知るのだろう。
だから、風に身を委ねればいいわけだ。身を委ねるっていうのも難しいんやけど、これはもう力みに気付いて、脱力を覚えるしかない。
そんなことを繰り返して、自由を感じられる人になろうと思う。
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