ボクは、考えることが好きなので、一人の時間は思考を重ねることが多い。Youtube見たり、ギター弾いたりしている時間も好きだが、考えている時間もボクにとっては至高の時間だ。
ところで、考えたところで、正しい答えなんて出るわけじゃない。むしろ、ループにはまって抜け出せなくなることも多々ある。それでも、考えることをやめることはできない。癖みたいなもんだろう。お陰で頭でっかちになって、間違うことも多いが、それもまた一興。
さて、今回はボクの思考法について、自分なりに考察してみたいと思っている。
こぉじの思考法
と、たいそれたことを言っても、基本的には問いかけるだけなのだが、、、特にルールがあるわけでもないし。ただ、自分に生まれた問いに対して、深堀りしたいのであれば、コツはある。
それは、世間的にも知られている方法だが、「なぜ?」を3回ないし5回繰り返すことだ。
方法としては単純だけど、これは結構大切な方法やと思う。
例えば、「APPLE製品が好きなのだろう?」と問うたとする。その答えが「オシャレに見えるから」だとすれば、次は「なぜAPPLE製品はオシャレに見えるんだ?」となる。このように、問いを深堀りしていくと、不思議な展開を見せることがあるわけだ。
そして、その先の答えに感動を覚えることもある。
答えの評価
だが、自分の出した答えが正しのか?と疑問を抱く人もいるかも知れない。そもそも、その考えが間違っていると思う。思考の先の答えに正しいも間違っているもない。
では、なんのために人は考えるのか?いや、ボクは思考を巡らせるのか?というと、それは自分に気付きを与え、そこから学びを得て、成長していきたいからだ、そして、変化したいからだ。それ以外に理由はない。そして、それ以外に思考を楽しむ理由もない。
これまでは、その思考を自分の中だけで終わらしていたし、数日で忘れていたかも知れない。だから、このブログを立ち上げた。自分の思考を忘れないためにだ。読み返せば、思い出せる。思い出せば、またそこから新たな気付きと学びを得る機会が生まれる。
だから、このブログはボクのために存在しているのであって、誰かの役に立てて欲しいとか思わないし、役立つ情報を発信したいわけでもない。そんなことはどうでもいい。結果そうなっていることは嬉しいが、自分からそうしたいとは思っていない。
重要なことは、ただ己に問うこと。
たった一つの問いが、水面に投げ込まれた小石のように、波紋を生む。波紋は広がり、また別の波紋とぶつかることもある。そうして、様々な問いかけや、そこから生まれた気付きが、別の波紋とつながり、より面白い答えを見つけられるだろう。そんなことがボクにとっては、楽しいのだ。
まとめ
これまで、ボクは、考えることより行動が大切だと思って生きてきた。それが合ってないから、ストレスだった。今でも同じだが、こうして自分の考えをアウトプットする場所を作ったのだから、まだしばらくはそれでも良いと思っている。考えるタイプの人間が活きるのは、行動できる人たちが周りに来てからだ。その日を待ちながら、ボクは今日も思考を重ね、アウトプットをしたいと思う。
さて、次はどんな小石を投げてみようか。
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