心の闇を吐露することは大切だ。
僕もブログで吐露はしてるから、闇とか本音を吐き出すことが大切だってことは分かっているつもりだし、そのお陰で随分と生きやすくなってきている。だけど、一人でそれを垂れ流すことと、その闇に共感する人をたくさん生むこととでは、闇深さのレベルは違うだろうと思う。
いや、闇深いと言うよりも、罪深い、業深いと言ったほうが正しいかも知れない。
件のサイトでは、「早く○ね」などのように、とにかく旦那への誹謗中傷がヒドい。
女性は共感の生き物だと言われているから、そこにたくさんの共感が寄せられているらしい。これが怖い。
人の想いというのは、集まれば強くなり、思想となり得る。
だから、行き着くはてはカルト宗教なんかと同じだろう。
彼女たちを否定するつもりはないし、そんな風に思わせてしまう旦那に責任があるのだから、責めることもできない。
僕が思うのは、強烈にネガティブな想いで仲間を作ろうとしている自分に気付いて欲しいってことだ。それぞれがそんな自分を俯瞰できれば、間違った方向に進むことはないだろうから、それなら吐露する場として存分に使えばいいと思う。
男性が投稿したこともあるらしいが、そこには旦那に向けているであろう殺意と同様の嫌悪感や呪詛の言葉が投げかけられたとか、、、ほんとはダメだけど、生涯をともにすると誓った旦那だけなら百歩譲って良しとしても、他人にまでってのは、自分の心を余計に腐らせるんじゃなかろうか。
同時に、そこまでの狂気を孕んでいるのなら、もっと別の方向へ捌け口を見つければ、それは恐ろしい力になり得るんじゃなかろうかとも思う。
僕自身、このブログで心の内を吐き出していた時は、狂気じみていただろう。
では、今はどうか?と言えば、今も狂気じみている。ただ、ブログに書くこと以外の方法で、狂気を表現しだしたから、ブログでの公開がなくなったのだ。
僕の狂気、それは「女神ちゃんへの愛」だ。
ブログ同様に毎日女神ちゃんへ手紙を書いている。
Youtubeで始めたオリジナル曲100曲公開チャレンジでも、その多くは女神ちゃんへの想いを歌っている。割合で言えば80%はそうなるだろう。
僕は彼女への愛を表現する別の方法を見つけたことで、ブログで狂気を見せることが減った。いや、なくなったかも知れない。
だけど、今日思った。
もっとだ。足りない。もっともっと表現しなければ、この想いはカタチとして力にならないと。
ブログだけじゃなく、全方位全力で、女神ちゃんへの愛を表現していかないと、僕の狂気は成せない。
愛に生きるってのは、そういうことができる人だけが言えるんじゃなかろうか。
嘘なく、偽りなく、本音だけを表現する。
今日からだ。僕は愛に狂気で向き合うことにする。
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