今日はなんでボクがクラファンに手を出したのか?ってことを深〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く考えて、そこから色々と自分のことを理解していこうと思う。
さぁ、本気の自問自答始めるよ。
初っ端から鼻にかかる話をするけれど、ボクには3つの持って生まれた才能がある。
まず、頭が良い。うん、虫唾が走るね。
次に、知識を使うだけの技術がある。うん、憤りを感じるね。
最後に、人に好かれる。うん、捻り潰したくなるね。
誰にでも才能はあるんだから、これくらい自慢してもいいよね♪
さて、技術は後天的なものだと思うかも知れないが、それぞれを順番に考えてみよう。
これがクラファンに手を出した理由に繋がるのだから面白い。
1.頭が良い
頭が良いってことは、何も勉学ができたってことではない。
ボクは中学受験こそして私立に通ったが、中学高校では落第をギリギリ回避できた口だ。
得意だった現代文と歴史以外はほぼ赤点だったし、授業中も滞りなくマンガ描いてた。5年間も。
ここで言っている頭が良いとってことは、知的好奇心のことを言っている。
知的好奇心があるから、本なりネットなりから、興味を持ったことを調べて、そこから派生もして、知識が蓄積されていくわけだ。
例えば、徳川家康を調べる途中、関ヶ原の戦いに興味を持てば、またそこも調べだすって感じで、縦に知る中で横の広がりを見せるから、ハッキリ言って収集はつかない。だけど、知りたいことはとりあえず調べて、納得する。
物知りとまではいかないが、浅く広い知識を持っているし、お陰で誰かと話していても、理解が早い。でも、お陰で、時にはしったかもしてしまう悪癖がある。
さらに、これは自問自答にも役立っているんだけれど、様々な知識を持っていることで、視野が広く持てるから、仮説を立てるのも思わぬ角度から考えれたりもする。
急に話が飛ぶとかも、この類だよね。だって、思考のめぐりが早いんだもの。
これは知識云々って言うよりも、知識をつなぐという行為からもたらされるものだと思う。そう、つまりシナプスね。
つまり、知的好奇心から知識を持ち出すと、それらをつなぎ合わせることができる。そうすると、頭の使い方が上手くなっていくし、頭が良いって評価もされる。
仕事でも知識を頼られることが多いし、プライベートでも知識を頼られることが多いのだから、ボクは頭が良いのだろうと思うようになった。生まれ持った才能ではあるけれど、それに気付いたのは大人になってからだ。
と、ここでは鼻持ちならないような言い方をしているが、実際には自慢に思っているわけではないし、才能だとも思っていない。自然に行っていることの延長線上に生まれた評価だから、あんまり理解できていない。
単純に言えば、これは努力を努力と思わずに行えていたこと自体が才能で、それを発揮していたのが、たまたま幅広い知的好奇心だったから、頭が良いって思われるってことだ。
2.技術がある
さて、次に知識を使えるだけの技術があるってこと。
技術は後天的に身についたものなんだけど、問題はそこではない。
これも知的好奇心の為せる技で、実は知識を具現化しようとするから、技術が身につくわけだ。
つまり、これは実際に行動するということを言っている。
知的好奇心から、ある知識を得たとき、ボクはこう考える。
「これができるってことは、こんなこともできるんじゃないのか?」
想像が膨らむわけだ。
すると、さらに知識は吸収されるし、技術も増えると。
もちろん、知識ばかり吸収して、頭でっかちになるときもあるけれど、多くの場合は実践するため、行動するために知識を身に付けている。ようはインプットとアウトプットってこと。
ボクは、インプットする才能とアウトプットする才能を持っているから、「こいつはできる」と思われる。
できる人ってのは、頭で考えていることを整理して、それを実践できる人だ。
この時のポイントは、整理して出た答えは「仮説」であると分かっているという点。
仮説だから、実践しても失敗することがある。
だけど、失敗してもその経験から次の仮説を立てられるから、より精度の高い行動ができるようになる。
ようは科学のように仮説を証明していくって思考と、それに伴う行動ができれば、人は「頭が良い」「できる人」って思うってことね。
ボクの場合は、知識も技術もあるけれど、それはすべて知的好奇心のお陰。それがたまたま人の役に立つようなことだったから、頼られることも多いってわけ。
3.人に好かれる
さて、最後は人に好かれるってこと。
これに関しては、正直なんでかなんて分かるわけもない。
本当に生まれ持った才能としか言いようがない。
人柄が良いってことなのか、愛嬌があるってことなのか、そのどちらでもあるのかも自分で把握するのは難しい。
だけど、この把握できていない才能と先に書いた2つの才能の影響で、ボクはクラファンをすることになった。
これから、それを証明していく。
まず、クラウドファンディングとはなんだ?ってことを超絶簡単に書いておく。
クラウドファンディングは、誰かの夢を応援するために、それをお金で支援して、支援された側は夢に関する何かだったりでちゃんとお返しするって仕組み。
これは、支援されてはじめてお返しするわけだから、予約販売って言われることもある。
ようは「いついつライブやるから、前売りチケット買ってね!」ってことだ。もちろん、チケットが一定数売れなければ、ライブは履行されないが、履行してほしいからチケットを先に買う。売れた枚数によってはハコを小さくしてでもライブは履行されるかも知れない。この辺りは、提供側の考えによる。
さて、ここで重要になるのは、「応援したい」と思われる夢であること。
もしくは、「応援したくなる」ような人間であること。うん、一つ繋がったね。
ボクは応援されるようなタイプではあるってことだ。
人に好かれるってのは、何も恋愛の話ではない。もちろん、それはそれで良い才能だけれど、そうではない。その魅力も否定はしないがね。
好かれるとは、「応援してもらえる」ってことだ。
つまり、誰かに頼れるってことだ。
そして、支えてもらえるってことだ。
ところがだ。
ボクには他の2つの才能がある。
インプットとアウトプット。
さらに、ここに加えて、過去から蓄積された思い込みによるボクの性格や思考の癖がある。
そのお陰で、ボクは「人に好かれる」という自分を素直に認めることができなかった。
ということは、クラウドファンディングに必要な「応援したくなるような人」の自分を認めていないってことだ。
天性を認められない自分
こっからは、少し込み入った話をする。
これまでの自問自答の結果も踏まえているから、ブログの記事をすべて読んでいない人には理解できないかも知れないが、理解したい人は、過去の記事をすべて漁ってほしい。
まず、ボクは幼い頃、思い込みから、自分の存在を否定していた。
生まれてきてよかったのか?と疑問を隠し持っていた。
だけど、存在を否定しつつも、子どもが生きるためには、人に好かれたいし、愛されたいとも思って生きてきた。
いい子であれば、好かれるし、愛してももらえると思ったわけだ。
本当は「人に好かれる」という天性を持っているのだから、純粋に甘えたいという自分がいるんだけれど、それを押し殺して、好かれるため、愛されるために評価される自分であろうと自分を偽って生きてきた。
ボクは、両親や兄弟、親戚などから「いい子」だと思って欲しいから、甘えることをガマンして、長男として頼られる存在になろうとして生きてきたわけだ。
だけど、これは無理な生き方だ。
だって、ボクは人に好かれるという天性を持っているのだ。つまり、可愛げがあるからこそ好かれるし、甘えるから助けてもらえるし、頼るから支えてもらえるし、頑張るから応援してもらえる。
それと真逆をいったら、そりゃダメだ。
でも、ボクはそうやって生きてきた。
その上で、インプットとアウトプットの才能も発揮していった。
するとどうなる?
先ほども書いたけれど、人は自分で考えて行動できる人を「できる人」と認識する。
これも真逆じゃないか。
いや、もちろんそれはそれで素晴らしい才能なんだけれど、ボクの思い込みとは相性が良すぎて、さらにボクの天賦の才とは相性が悪すぎる。使い方を間違えると、自分を苦しめるだけのことにしかならない。
そして、実際、自分を苦しめてきた。
積もり積もって適応障害になったわけだ。
少しまとめる。
ボクは生まれながら「愛される」タイプであるにも関わらず、自己の存在を否定するという幼少期の思い込みにより、本来の自分をガマンして、周りから認められる「いい子」を虚像として作り上げ、頼られる長男という、ウソの自分で生きてきた。
そこに加えて、ボクは知識を求め、技術を身に付けたから、余計に頼られる存在にもなってしまう。
もちろん、昔からずっと人に可愛がられる存在ではあったけれど、誰かに甘えることも頼ることも自分では許されなかった。というか、そんなことをしては、自分の存在をまた否定することになるから、できるはずがなかった。
そして、ボクは元々「存在を否定」しているという意識が根底にあるから、自分に自信はなかった。
何をしても結果は出ないと思い込んでいた。いや、結果を出しても自分を認めていなかっただけかも知れない。
なんて悲しい話なんでしょう。。。
なんて根深い闇なんでしょう。。。
こんなボクに救いはあるのでしょうか?
いや、救えると思うから、クラウドファンディングしてるわけです。
こんなややこしい話が伝わっているのだろうか?
ここまで長々と書いたけれど、平たくいえばこうだ。
過去の自分のなんやかんやはもういいから、本来の自分の良さにフォーカスして生きたい。
あなたからの愛が欲しいのです
ボクは誰かに甘えたい。
ボクは誰かに助けて欲しい。
ボクは誰かに応援されたい。
ボクは誰かに頼りたい。
ボクは誰かに支えられたい。
その上で、自分の能力(インプット&アウトプット)を発揮したい。
そのためには、、、
誰かに支えられて生きていいってことを素直に受け入れなければならない。
誰かに頼っても大丈夫ってことを素直に受け入れなければならない。
誰かに応援される自分であるということを素直に受け入れなければいけない。
誰かに助けられて生きているってことを素直に受け入れなければならない。
誰かに甘えても嫌がられないってことを素直に受け入れなければならない。
ボクは、甘えたり、助けてもらったり、応援されたり、頼ったり、支えられたら、嫌われると思っていた。
ボクは、甘えたり、助けてもらったり、応援されたり、頼ったり、支えられたら、また自分を否定すると思っていた。
だけど、実際には、甘えてるし、助けてもらってるし、応援されてるし、頼ってるし、支えられてる。
そう、本来のボクはすでに周りの人たちによって認められ、受け入れられて生きてきている。
にも関わらず、ボクだけがそれを否定している。
それを否定しないため、自分で認めるために、クラウドファンディングをしようとしている。
ボクは、あなたに甘えたい。
ボクは、あなたに助けて欲しい。
ボクは、あなたに応援されたい。
ボクは、あなたに頼りたい。
ボクは、あなたに支えられたい。
これだけのボクで生きたい。
いや、生きていく。
ボクが人に好かれ、可愛がられるというのは、生まれながらにして持っている才能だ。
この才能を遺憾なく発揮して、あなたに愛されながら生きる。
これでいいし、これがいい。
あなたの愛をボクにください
さて、そろそろ変化球的なこの自問自答も終わりを迎えそうだ。
ボクは、できる人間ではあるけれど、それ以前に、あなたに愛されることで活きる人間だ。
あなたに愛されることで、ボクは生きてもいける。
あなたの愛に応えるためだけに、ボクはできる人間になった。
ボクができる人間になったのは、誰かに愛されるためではない。
あなたの愛に応えるために、ボクはできる人間になったのだ。
だから、ここまで読んでくれているあなたにお願いがある。
どうか、ボクをもっと愛してください。
そして、
ボクに甘えさせてください。
ボクを助けてください。
ボクを応援してください。
ボクに頼らせてください。
ボクを支えてください。
あなたの愛を受け入れることで、ボクは自分らしく生きていけます。
ボクは自分らしく生きることにしました。
あなたに愛されるだけのボクであることをこれから認めます。
あなたの愛をボクは受け入れる準備も始めています。
さぁ、クラウドファンディングのURLはこちらです。(まだ審査中だけれども)
Ps…
ほんとに、クラウドファンディングお願いします。
ここまで読んでくれていることにも十分な愛を感じるのだけれど、やっぱりボクも自分の夢は叶えたいんです。
そして、それをあなたの愛で実現させて欲しいんです。
あなたの愛をください。クラウドファンディングのURLはこちら。
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