「AmazonKindleで本出しました」っていう告知動画だ。
正直、わざわざ告知するつもりはなかったんだけど、自分の中でけじめを付けておこうと思って撮影した。
実は、同様の動画を出版後すぐにも撮影していた。
でも、その動画を編集していて気付いたことがあった。
それは、前のチャンネルを運営してた頃と同じ感覚で撮影してたってことだ。
どういう感覚かと言うと、「見られている」というより「監視されている」に近い感覚だ。
それが嫌で、Youtubeもブログも引っ越した。(Youtubeに関しては、完全にリスタートだが)
僕の周りの人間は、有り難いことでもあるけれど、僕を大切にしてくれている。
ただ、それは僕が望むレベルのものではない。
悪く言えば過干渉だと、僕自身は感じている。
きっと誰もそんなつもりはないし、ただ心配だからってことなんだろうけど、僕は干渉されてると感じる度合いが低いようだ。
「最近、何してるん?」なんて質問が最も忌み嫌うものだ。
普通の会話なのは分かっているが、詮索されてるように思う。
と言っても、これは適応障害前後に生まれた感覚だろう。
ただ、先日女神ちゃんから僕たちの前世の話を聞いて、どうも適応障害とか関係なく、根っこにある感覚なんじゃないかと、今はそう思っている。
つまり、僕が自由を求めたり、解放を求めたりしたのは、前世の僕が成し得なかった悲願だったからだ。
囲われて生きることが、僕にとっては何よりも息苦しい。
正直なところ、明日にはどっか放浪の旅に出たいって気持ちと隣合わせで生きているくらいだ。
そんな感覚で撮影してたってことを気付いて、取り直すことにしたという話だった。
で、昨日撮影してアップロードしたんだけど、そこにいる僕は、理解したからか、別に監視を意識していなかった。
コレで僕の中ではひとつのけじめが付いた。
放棄したように手放したチャンネルに、きちんと終止符を打てた。(自分の中でね)
ってことで、昨日あげた動画がコレ↓
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