すでに幸せに生きている人もいるだろうけど、この記事を読んでいると言うことは、あなたはまだこれから幸せになろうとしている人だと思う。
そんなあなたへのメッセージ。
なぜ人は幸せを求めるのか?
人が幸せになりたいと願うのはどういったことなのだろう?だって、それでは「今」が幸せじゃないってことになる。
もっと幸せになりたいと願うのだとしても、それはそれで欲深い。
それに、命は次の瞬間に終わるかも知れない。
だったら、「今」が常にピークであるべきと言える。
となると、やはり今が幸せじゃないってのは、寂しい人生ってことになる。
ただ、今が幸せだと謙虚に思えないのは、現代は幸せのマウンティングが過ぎるからだと思う。
これには物質過多と情報過多の二つの要因があるのだろう。
ひと昔前には、より良い物質に囲まれていることが幸せであるとされた。そこから、より良い情報を得ていることが幸せとなり、SNSがそれに拍車をかけているのが現代だ。
美味しいお店、美しい風景、便利なモノ、楽しそうな場所などなど、、、そんなモノを日々たくさん得ていたら、不満は溜まるだろう。
そして、それらを体感出来ていない自分は幸せではないと錯覚してしまう。
心の時代と言われているが、、、
これからは物質でも情報でもなく、心の時代が来ると言われているけれど、幸せマウンティングが蔓延る現代の仕組みの中で、心に目を向けられる人はそうは現れないだろう。
私は心に目を向けていると思っているあなたでさえ、本当にそうか問い直すべきタイミングかも知れない。
物質を求めていないか?情報を求めていないか?
最近はミニマリストなんてのも流行り出してるけれど、あれもファッション化してる気がするのは僕だけだろうか?
中には、テーブルさえなく段ボールなんて強者もいるけれど、果たしてそれはミニマリストと言えるのか?
定義は知らないけれど、必要最低限しか持たないというのと、最低限の快適ささえ捨てることは同じようだけど、違わなくないか?
こころが幸せを感じているならそれでイイと言えばそうなんだけど、、、まぁ、これは価値観が左右するところなんだろう。
幸せとは何か?
幸せというのは、モノに左右されるもんじゃないし、情報に踊らされるもんでもない。
こころの幸せを感じられるかどうかは、エゴや価値観によるところも大きいけれど、僕は、こころが自由であるかどうかだと考えている。
幸せとはこころが自由でいられることだ。
何者にも支配されず、何にも縛られず、笑って楽しくなり、泣いて悲しくなり、自分にも人にも優しくて、毎日が輝いて見える。そんなこころの状態こそが自由だと思う。
この状態はあなたも身に覚えがあるだろう?
世界のすべてが手に入ると本気で信じていた頃のことだ。
まだ幼かったあなたは、毎日毎日、光り輝く世界を生きていただろう?
それがこころの自由だ。あの頃感じていた万能感こそが幸せの源だ。
向き合いなさい。見つめ直しなさい。
あの頃のようにとまでは行かずとも、今の僕は少しずつあの頃のような世界を見始めている。
それもこれもこの半年ほどを自分を知るために時間と労力を使ってきたからだ。
そして、僕の提供しているサービスの中には、僕の経験から発見した、自分と向き合い、見つめ直すことで、こころの自由と幸せを感じ、自分らしく素直に生きるための方法ってのがある。
その方法を学ぶための基礎講座ってのもあるんだけど、実は昨日一昨日にその方法のエッセンスをギュッとまとめたレポートを書いた。
そのレポートを読めば、勘の良い人なら実践までできるかも知れないって内容になっている。そんなことされたら商売上がったりだけど、それでも良い。
大切なことは僕の商売よりも、あなたがこころの自由を感じて、幸せになることだ。
このレポートは無料で手に入るから、幸せになりたいとあなたも思ったならぜひ手に取って読んで欲しい。
読めば理解できるかも知れないし、もっと学びたくなるかも知れないが、とにかく読まないことには、知らないことには、幸せにはなれないのだから、すぐにでも読まれる方が良いだろう。
レポートは以下のリンクから申し込んでもらえれば、無料で入手可能だ。
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