自分らしく生きる。という覚悟を決めたとしても、何が自分らしいのか?と疑問を抱きながら生きていることはないか?
僕にはある。
例えば、「Aがしたい」と思った矢先に、頭の中では別の声がして「そんなんしても意味ないし」と考えている自分に気付いたり。
そうなると「ほんまにAがしたいんか?」と自分に猜疑心を持ってしまう。
そういうことを繰り返して生きていると、もはや何が自分らしいのかなんてことさえ分からなくなるし、何がしたいのかもわからなくなる。果てには自分ってものを見失う。
こんな風に、頭の声と心の声がチグハグだと、自分らしく生きるなんてことは叶わない。
僕以外にそんなことで自分を見失っている人がいるのかはわからないけど、あなたも想いと違う声が脳裏によぎるのであればそうなる可能性はあるかもしれない。
この現象は厄介だと思う。
なぜなら、自分の中の声だからだ。
「Aだ!」というのも自分。「Bだ!」と思うのも自分。どっちも自分だから、訳がわからなくなる。
そして、そんな調子でどっちつかずで日々生きてるから、なんでそんなチグハグが自分の中に生まれるのかも理解できないまま、それが自分なんだと思って生きてしまう。
つまり、この瞬間に自分がやりたいと思ったことも、それを否定するような自分がいるなら、それは本当はしたくないことなんだと、今の自分を否定する側を本心かのように認めてしまう。
でも、どう考えても「今のあなた」が「これをしよう!」と思ったことは、あなたにとっては正しい。それを否定しているあなたがいるのなら、そっちが間違っている。
その間違っている自分、つまり「ひねくれ」を認めることができれば、間違っている自分を味方に付けることもできるようになる。
そうなると、自分がしたいことを素直にできるようにもなるから、自分らしさも見えてくるし、自分らしく生きられるようにもなる。
僕は今、そう信じて自分らしく生きられるようにしている。この先どうなるかはわからないが、ずいぶん生きやすくなったことは確かだ。
自分の中にひねくれがあるというジレンマは1日でも早く抜け出した方が良い。
そうすれば、生きることも楽しいもんだと思える日が来ると思う。