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【第三章】自分の中に愛という希望を探す旅【性欲】

さて、序章第二章と続いた旅も、ここで終わるのだろうか。とりあえず、今回は「愛の所在」を性欲から考える。

ちなみに、序章では、ボクが「セックスに精神的な繋がりを求めていた」というところから、「精神的な繋がりって何?」という疑問が生まれ、第二章で「精神的な繋がり」の答えを見出した結果、今のボクがムラムラしなくなったのは「愛の所在を知ったからではないか?」と考え、第三章へ至っている。

では、性欲の森のさらに奥地へと入っていこう。そろそろたどり着いてほしいのだけれど。。。

自分の中に愛という希望を探す旅

今のボクと、過去のボクとの対比から、今のボクがムラムラしないのは、過去のボクが「セックスすることで愛を与え、与えられると思っていた」ことから考えると、セックスではない別の場所に愛があると知ったから、そこに依存しなくて良くなった。と解釈できる。

本当の愛の所在なんて、まだ知らないけれど、相手に対しての信頼とか感謝とか尊重を持つことの先に愛があると思っている。あると言うか、生まれると思っている。

それに気付いけたから、セックスに愛を求めなくてもよくなって、ムラムラもしなくなっているんだとボクは、そう考えている。

だったら、この旅も終わるんだけど、ボクはひねくれているので、もう少し考えたい。

セックスから愛は生まれないと第二章で書いた。だから、そこに愛を求めることは無意味だとも書いた。だけど、セックスには愛があるはずだ。いや、愛があるセックスがあるのか。だけど、それは知らないから、置いといて、セックスに愛があるのかを考えてみよう。

ボクがここに答えを見出すとしたら、それは「やさしいセックス」ではないだろうか。なんか入門編みたいで笑えるけど、そういうことではなくて、「優しを感じられるセックス」「大切に思われていると感じられるセックス」ってことだ。

これなら、その先に愛はあるのではないだろうか?

では、そういうセックスがあるとして、ボクのことを考えてみよう。これ以上、文字にはしたくないけれど・・・

ボクは序章で、相手に快楽を与えることで(自分の)満足度が高まるって書いていた。そのためには、ガツガツしてはいけないし、もちろん、力まかせにも、乱暴にもできない。ソフトタッチでないと、ダメだとボクは考えていた。これはやさしいセックスに該当しないのだろうか?

該当はすると思う。ただ、セックスに求めていたものが間違っていたから、正解ではなかったのだ。

つまり、アプローチが合っていても、意味がない。そこに愛は生まれない。というか、そもそもセックスに答えを求めるのがおかしいんじゃないだろうか?

だから、たとえどんなに優しさを持っていたとしても、大切に扱ったとしても、何かを求めた瞬間から、そのセックスは虚しいだけの行為になる。

そもそも、セックスは、子孫繁栄のための行為だから、相手のことが愛しいと思い合えてはじめて為される行為だろう。愛し合ってるからこそ、純粋にできるわけだ。何も求めることなく、ただ相手を愛してるからセックスをする。こう言うと、なんか味気ないけど、そこには二人にしか分からない愛があるんだろう。期待も込めて高次元なセックスとでも言っておこう(笑

森の奥地と旅の終わり

愛の所在はまだはっきりとは知らないけれど、今のボクは、これまでのようにセックスに意味や答えを求めることはないだろう。

どうやら、森の奥地にたどり着いたようだ。

タイトル通り、希望を見つけたと思うのだが、いかがだろうか?

性欲に関しても、お金などと同様に、今後もメインで扱って行こう。それほどに、ボクも欲深ったのだから、旅はまだまだ続けなければならない。

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