そして、両親の両親、つまり祖父母がいて、さらにその両親がいて…と倍々に増えていくんだけれど、大体25年で次の世代が生まれると考えれば、100年前では16人の先祖がいる。
幕末の1870年頃まで遡れば64人。だけど、そこから江戸時代の始まりの1600年頃となれば131,072人、まるでどこか小さな市の人口程度の先祖がいることになる。
人類みな兄弟とはよく言ったもんだ
これだけの人がいなければ、僕もあなたも存在しないなんて信じられないが、これが事実。
より正確にとなれば、例えば親戚同士の結婚とかもあるから、実際にはこれよりもグッと減るんだろうけど、それにしても覚えきれないくらいの人がいたから、僕たちが生まれてこられたんだと思うと、ほんと人類みな兄弟とはよく言ったもんだと思う。
さて、僕が何を言いたいのかと言うと、数の多さとか、だからあたなと僕は兄弟だとかそんな意味の分からないことではない。
そうではなくて、こうして過去に何人の人が関わった結果の今なのかと考えると、自分の命というのがどれだけ尊いものなかってことが少しくらい分かるよねってことを言いたい。
あなたは有り難い存在
そして、今あなたが存在していることは、読んで字の如く、有り難いことなのだ。
有ることが難しいことが現実として起こっている。これが命だと言うことだ。
日本語の「ありがとう」は、「有り難う」と書くけれど、有り難いことが起こっているから、感謝できるってことから、ありがとうが感謝を述べる言葉になっているというのは、本当に素敵な考えだと思う。
よって、僕は信仰の対象として先祖という存在は、最も尊ぶべきものだと考えている。
ここを蔑ろにすることは、自分の存在を否定していることになる。そんな馬鹿げた話はない。
別にお墓参りに行こうなんて言うつもりはない。だけど、こころの中で手を合わせるとか、感謝しておくとか、そういう「想い」は常に持っておくべきだと思うし、そうあることが、自分の人生を幸せにする基盤になると思っている。
そして、自分と向き合う、自分を見つめ直すということも、この想いがあってこそ効果を発揮するし、成せるものだと思う。
僕はこのような想いを持てるようになったし、その想いを叶えることもするようにしている。だから、幸せを感じて生きていられるし、守られていると素直に感謝できている。
素直になるとは
こころが疲れてシンドいのに、それを放置したり、僕のメッセージを受け取らない人が多いのは、僕自身の伝え方の未熟さもあれば、まだまだ不足しているとも思う。
それに加えて、やはり自分が有り難い存在だと言うことをしっかりと認識出来ていない人が多いんだとも思う。
有り難い存在の自分を大切にするなら、こころが疲れてシンドいままで放置なんてできるはずはない。見て見ぬ振りはもちろん、差し伸べられた手を取らない選択肢などない。
素直になるというのは、自分を大切にすること、そして、優しさをそのまま受け入れることだ。それが、先祖への恩返しのようなものにもなる。
その後でそれぞれの行動に対して解釈はすればいいし、選択もすればいい。
僕はこれからもメッセージを伝え続けるし、あなたのこころを癒すための準備も怠らずに増やし続ける。
いつか、あなたのこころにも僕のメッセージがちゃんと伝われば嬉しい。
ちなみになんだけど、、、西暦0年ほどにまで遡ると、自分からすれば81代くらい前に遡ることになるんだけど、その場合の先祖の数はもう桁違いの数になるようだ。
その数は、2,417,851,639,229,260,000,000,000人、、、これは2杼4178垓5163京9229兆2600億人と数えるんだと思われるけれど、もはや天文学的数値過ぎてわからない。
まぁ、そもそもこの計算が合ってる保証はないんだが、、、w
]]>