だけど、思い返してみたら、北欧神話は高校生の頃に好きだったから、元々神さまにもロマンを感じていたんだろうと思う。
歴史はロマンだ。
強いあこがれを持つ対象であり、息吹を感じるもの。
ボクが育った街は、京都市伏見区の墨染というところなんだけれど、そこには墨染街道という街道が通っていて、そこは醍醐方面から桃山方面へと抜ける道。
幕末の時代、そこで新選組局長近藤勇が御陵衛士の残党に撃たれたという逸話がある。
左右どちらかの腕を負傷した近藤勇は、その怪我が原因で戦線離脱したと言われているんだけれど、通いなれた道の過去にそんな事件が起こっていたなんて、ロマン以外の何物でもないだろう。
もちろん、今の道と昔の道とでは場所もずれているだろうし、大きさも違うだろうから、名前だけが残っているのであって、実際の場所が「ジャストここ」ってことはないんだろうけどね。
そんなわけで、ボクは新選組が好きだから、生まれ育った墨染って場所がゆかりのある場所だと知って嬉しいわけだ。まぁ、新選組好きにとっては、決していい場所ではないんだが。。。
ところで、ボクが新選組に最初に触れたのは、漫画YAIBAに出てきた沖田総司だったと記憶しているんだけど、羽織という造形がただただカッコいいと感じたと記憶している。
小学生だったから、ただただその造形から入ったんだろう。
最強剣士って肩書も惹かれるけど、フォルムこそ憧れる第一要素だと思う。
それから入って、大人になり、色々と知っていくにつれ、その生き様とか背景から背負っているものとか、いろんな要素がわかりだすと、より好きになっていく。
例えば、新選組ではボクは三番隊隊長斎藤一がダントツで好きなんだけど、好きになったのはるろうに剣心ではない。るろうに剣心の斎藤一は確かに抜群にカッコいいんだけれど、沖田総司のそれには勝らなかった。
だけど、今は斎藤一が好きになった。
その理由は、壬生義士伝を書いた浅田次郎の小説からだ。
浅田次郎の描く斎藤一は、とにかく人間臭い。そして、そこがカッコいい。
これは大人にならないと分からないカッコよさだろうし、色々な歴史背景が理解できていなければ感じられなかったことだと思う。
浅田次郎の描く斎藤一は、「人間は糞袋」だと吐き捨てる。だからこそ斬れると。
そのくせ、斎藤一は新選組の生き残りとして明治を生き抜いている。
このキャラクターは創作とはいえ、生き抜いたくせに命を軽んじているという矛盾がたまらないし、そういう設定をした浅田次郎の愛を感じる。
そんな斎藤一が、坂本龍馬暗殺の下手人だという都市伝説的な話があるんだけれど、それもたまらん。
真相は一生知ることはできないだろうけど、歴史というのは、そういういろんな説が生まれてこそロマンだと思う。
歴史を断定することなどできるはずはないし、例え書物が残っていたとしても、それが本当に起こったことかどうかなんて、どこの誰が立証できるのだろう?
色んな説が人の数だけあるからこそ、歴史は面白い。歴史は小説と同じで、物語だと思う。
フィクションもノンフィクションも含めて、物語は面白いし、歴史は面白い。
だから、ボクは歴史が好きなんだと思う。
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