だけど、そんな風に逃げてばかりだと、ダメなんじゃないか?と心のどこかで自分を責めている自分もいる。
こういった「良し」と思っている行動に対して、どこかで「悪し」と思ってしまっていることってのは誰でにでもあることだろう。
それは、自分に自信がないからだとか、世間の目を気にしているからだとか、色々といわれはあるんだろうけど、結局は、、、
「今、あなたは小さな幸せをいくつ数えられますか?」
ってことなんだと思う。
ようは、ネガティブな要素は強いから、ネガティブをどこからでも集めてくるし、それに支配されていってることに嫌気がさして、自分を不幸に不幸にしていってしまう。
だから、「そうじゃないだろう?」ってことを自分で気付かない限り、自分が良しと思っている行動を肯定しきれないんじゃなかろうか?
そのためには、今ある小さな幸せをひとつひとつ拾い集めて、当たり前や当たり前になっていることが自分にとって幸せなんだってことを認識しないきゃいけないよねってことで、先の質問が大事になってくるわけだ。
これは、理想や夢や希望や願望を追い求めても、現実、今はそうじゃないって落ち込んでしまうことにも使えると思う。
つまり、「これだけ小さな幸せがあるんだから、大丈夫」って勇気づく。
人間ってのは、どうしても今よりも明日(未来・理想)を望みがちだし、昨日(過去)を気にしすぎながら、今を生きてしまうから、不平、不満、不幸を抱える。
でも、どれだけ明日を望んでも、昨日のことを気にしても、僕たちは「今」この瞬間しか生きられない。
だから、今この瞬間を生きている自分が本当はすでに幸せであることを十二分に噛み締めておかないと、明日を望み不平不満を言いたくもなるし、昨日を気にして不幸を感じてしまう。
それじゃずっと不幸の中で、不平不満を口にしながら生きることになるけど、そんな人生を望んでないから、余計に苦しむんじゃないのだろうか?
あなたの足元にも、僕の足元にも、たくさんの小さな幸せは転がっているじゃないか。
その幸せを拾わないのは、幸せに気付かぬふりをするのは、明日を見すぎているからで、昨日を気にしすぎているからだ。
違う。本当に大事なのは今だ。
今をどれだけポジティブに生きられるか。
落ち込むこともあるだろう、シンドい時もあるだろう、何もしたくない日だってある、気乗りしなくても別にいい。
ただ、それでも必ずどこかに小さな幸せはあるはずだ。
その幸せが自分を支えてくれるし、希望になるし、原動力になる。
僕は、こうして毎日ブログを書いているけど、別に書くことが好きなわけじゃない。得意なだけで、好きってわけじゃないから、書きたいことがない日にも書くのは、大変だ。だけど、書き続けている。
それは、読んでくれる人がいるからだ。
それが小さな幸せだから、書けるし、書こうと思える。
逆に、毎日晩ご飯を作るのは好きだ。得意ではないけど、好きだからやれる。だけど、ここにも小さな幸せがあるからやれる。食べてくれる人がいて、美味しいと言ってくれるから、作ろうと思える。
好きなこと、得意なこと、それができてることも小さな幸せだろう。
そうやって数えだすと、本当に生きてるってことがどれだけ幸せに囲まれているのかってこともわかる。
だから、それらひとつひとつに感謝して、いつも今を生きること。
別に必死 でなくとも、ガムシャラでなくとも、今を生きられていることが幸せなのだ。
その幸せをより増やすために、何を選択し、行動し、どこを目指すのか?
幸せという基盤を分かってこそ、次の一歩にも有り難味を持って行動することができる。
「これでいいのか?」
と自分に問いたくなることはあるけれど、日々の営みにある小さな幸せとそれらへの感謝があるのならば、「これだから良い」と笑って言えるそんな自分でありたい。
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