生きる

2019年8月20日は37歳だったボクが現実から逃避行した日。

思い出したくはないけれど、思い出さずにはいられないって日、誰にでもあるよね。うん、あると思います。

自分が存在していいのか、生まれてきてよかったのか?そんなことを感じていた幼少期からこっちの人生。

それと同時にある時から、「生きててもいいのか」という漠然とした不安を抱えていた。

「生きてる意味あるのか」という疑問を持ち出すと何をしても上手く行くはずもないし、全て空回りを始める。

そんなことが積み重なって、ボクは適応障害になるべくしてなったのが2年前の今日だった。

簡単に言えば、仕事しててもお金が回らなくなっていくというだけの話やったけど、そこに絡む色々な業が深かったということに気付くまで、あれから2年かかったってのが闇深さを感じさせる。

お陰で今までお金回ってへんしね。なんかようやく回りそうな光明は見えはじめたから気は楽やけど。

まぁ、それは置いといて、自己の存在を肯定できたのは、このブログでも前に書いたわけで、今回は「生きてて良かった」と生まれて初めて感じたから、この記事を書いている。

ボクの存在そのものを肯定できた上で、ボクの生きる過去も現在も未来までもを肯定できるようになれたということ。

特別な何かがあったわけではない。

ただ、ふと今日があの日から2年経つことを思い出して、最近のモヤモヤの原因に気付いた辺りから、なんとなく「生きてて良かった」と感じた。

ずっと自分の人生を否定してたんやなぁと思うと、自然と悲しくなった。

でも、今は支えてくれる人がいる。支えたいと思える人がいる。

そんなことを感じた時に「生きてて良かったな」って思った。

当たり前のことなんだけど、ボクには初めて芽生えた感覚。

誰に言われても、許可を貰っても、許すことは出来なかったと思う。

だけど、ボク自身が許可を出したんだから、これでようやく歩き出せるんだろう。

後は、生まれてきたことへの感謝を告げる旅を。

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