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正しい今を生きる

これまで考えたことがあったようで、ないようなことなんだけど、自分の考えが「今」の自分のためなのか、「明日」の自分のためなのか、「未来」の自分のためなのかって、判断基準と視点と視野は絶対必要。

一言で言えば計画性ってことなのかも知れないけれど、これをちゃんと理解するのは、なかなか難しいし、ましてや自分の能力にするのは尚難しい。

これと相反するような考えで「明日死んでも良いように、今を一生懸命に生きる」というのがある。

本当は前者も後者も根っこは一緒なんだけど、後者を鵜呑みにすると、間違った今だけしか生きられない。

正しい今と言うのは、未来の自分のために生きているということだと、ボクは思う。思うというか、気付いた。

そこに気付くと、これまで囚われていた呪いが解けるように、柔らかく物事を考えられるようになった。

生きていると、色んなことに囚われてしまう。

それは、人間関係もあれば、物欲もあるし、承認欲とか、権力や名誉が欲しくなったりとさまざまだけど、そういうものを全てフラットにして、ただ自分だけ、等身大の自分だけで物事を見て、考えたら、そこであなたは何を求めているのか。

そこで求めるもののために、何がしたい?何ができる?どう在りたい?

そんな風に考えると、ポジティブな言葉しか出てこないんじゃないだろうか?

例えば、「愛が欲しい」と願っているならば、あなたはどうあれば愛を受け取れるのだろうか?

答えはわからないけれど、もしかしたら、愛を求めるならば、ただ純粋に愛することが先にあるべきなのかも知れない。

そして、純粋に愛することができるだけの自分で在らなければならないのかも知れない。

そこで問うてみる。

「自分は純粋に人を愛せているのだろうか?」

「そうでなかったのなら、何が問題だったんだろうか?」

等身大の自分が求めているもの、それを叶えるために必要な全てを知ることで、あなたの人生は変わるかも知れない。

自問自答もこうして少しずつ進化するもんだなぁと我ながら感心する。

結局、自分をとことん知らなければ、正しい今を生きることは難しい。

ボクの正しい今は、どんな風に生きることなんだろうか。

誰のために生きているのか、何のために生きているのか、その答えも見つけられる。

いつも源泉はあなたの足元にしかない。

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