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導かれるままに生きている弍

つづき。

家康の産湯の井戸と言われている井戸「現在は枯れている)から、樹々に囲まれた道を本丸へ歩き出したとき、ボクは「この道は産まれた瞬間から自分の人生を歩いて、本丸で家康と対峙する時が、いまに繋がってるな」と感じた。

歩を進めると、なんだか泪が溢れ出して、サングラスで隠しながら、行き交う人たちをやり過ごした。同じ方向へ歩む人は誰もいなかった。

だけど、本丸にたどり着くまでもなく、泪はは止まっていた。あれは、多分幼少期の頃の道。まだ何かボクの中にあるんだろう。

泪も乾いて、道が開けた時、左手に岡崎城があることに気が付いた。

龍城神社はすぐそこだ。家康も今のボクもすぐそこにいる。

鳥居でお辞儀をした時、「来ました」と心の中でつぶやいた。

そして、龍城神社にてお賽銭をして、自分が誰かを伝え、ここへ何をしに来たのかを伝えた。

その時、ボクは確かに聞いた。

よく来たな

これから自分の好きに生きろ

そして、わしを超えればいい

恐れ多いことなんだが、有り難かった。

あぁ、これでやっと本当に自分の人生を生きていいんやなと思えた。それだけで良かった。ボクは自分の信じた人に許されたのだから、もはやボク自身が自分を許せないわけもない。

そう、ボクは自分に自由に生きる許可を与えたかったのだろう。

それを家康を通じて、声として聞いた。

これ以上の言葉は要らないだろう。

こうして、ボクの岡崎散策は待ち合わせ時間を迎えた。

さて、自由に生き始めるボクには、これからどんな未来が待っているのか。書いてる段階では、世界観が変わることばかりが起きている気がする。いや、これはここ最近多い経験なんだけど、、、

ほんと、人は自分を変えられれば、世界さえも変えられる。自問自答ってのは、最高のツールだなと、改めて感じる。

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