いわゆるシミュレーションゲームだけど、僕はこの類のゲームが好きだった。
他にも、テーマパークとかエイジオブエンパイアとか三国志なんかも好きだったから、僕は育てるってことに興味があるんだと思う。ただ、、、
ゲームから見える人間の闇
釣った魚を水槽で飼育したり、植物を育てたりと、大人になってもやっぱり育てることが好きなんだと思う。
最近もThe Ants(ザ・アンツ)というアリの王国を作るアプリをやってるくらいだ。
やり始めた当初は、女王アリとして働きアリに建築やら資源採取やらさせるって行為が楽しいのかと思ってたんだけど、どうやらそうではないと思い、育てること自体が好きなんだなと気付いた。
なぜそこに気付いたのかと言うと、、、
こういったゲームは基本的に競争が仕組まれていて、それはアリ塚の繁栄というよりも、むしろ、戦闘力に重きが置かれている。
つまり、強いか弱いかだ。
自分より弱いアリ塚に資源略奪にいって、アリ塚を壊せる。
この仕組みがないと、ゲーム性が損なわれるのは分かるんだけど、僕は嫌いだ。
自分がされたことも嫌だったけど、他の人がされてるのを見た時に、人から奪って繁栄するという思考がとても嫌いなんだと気付いた。
これはゲームだけど縮図でもあるんやなと。
奪うという発想
だけど、そもそも日本人にはそんな思考はなかったはずだ。と言っても縄文時代の話しだけれど。
プレイヤーは世界中にいるし、日本のアプリでもないから、そこに文句は言わないけれど、平気で略奪できるってのは、理解し難い。
飛躍しすぎてるとは思う。
でも、たぶんこれは間違ってない。
プレイヤーは人間だから、そこでの行動はその人の思想を体現もするだろう。
奪うって発想の野蛮さは異常だ。
優しさで融合するとか、分け合うとか、そんな発想で世界を作れないのだろうかと、、、途方もない理想論だけど、そんなことさえ感じてしまう。
まぁ、だからと言って、アプリをやめる気はないんだけれど、、、
戦いや競争が嫌なのではなく、奪うことが心底嫌いなんだな。
そう思えば、僕が適応障害で実家にいた頃、自室で何かしてる時に用事を頼まれたり、邪魔されることがめちゃくちゃストレスだった。
それはなぜかと言うと、僕の時間を奪ってるからだ。
だから、突然の電話も大嫌いだ。
なるほど、僕は時間だけでなく、とにかく奪うという行為や発想が軒並み嫌いなんだとわかった。
奪うことが当たり前だから、、、
今の世の中は、奪うことが当たり前になっているから、奪われていることにも気付かずに生きている人は多い。
だけど、それをストレスに感じている人も多いだろう。理由には気付かずにストレスを感じるなんて、シンドさしかない。
つまりだ。
僕たちは無意識に奪われていることを知っているわけだ。
それに気付けば、奪われないように意識できる。
また、そうしなければいけない。
あなたの世界から何かを奪っていい人間など存在しないし、それを許してはいけない。
いや待てよ。
奪われてもいいものもある。
それは、心だ。
僕の心は女神ちゃんに奪われている。それはむしろ差し上げたいくらいのもんだから、奪われてもいい。
恋心だけは奪ってもよいし、奪われてもよいみたいだけれど、それ以外は奪われないように、また奪わないように気を付けて生きたいものだ。
とにかく、ザ・アンツでは、資源を奪われないように強くならなくてはいけないので、日夜強化に励むしかない。なんて、そんなことに時間を奪われている場合ではないか。
]]>