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彼氏彼女より相応しい言葉を探す

2021年1月にボクは、女神ちゃんと付き合うことになって、彼氏彼女になったんだけれど、齢39歳にして、彼氏彼女ってのもなんだか違和感あるよなぁ、と冷静に考えれば思うわけ。

その後、3月にフラれて一旦お別れすることになるんだけれど、そこからボクの怒涛の快進撃により、2人の関係は人智の及ばないというか、言葉で括れない不思議なものになっていく。

その辺りは、なんか色々とブログにも書いてるから、「愛」のカテゴリーでも読み漁ってもらえれば伝わるか、伝わらなくても、なんとなく関係性は把握できると思う。

で、今回はボクら2人の関係性ではなく、彼氏彼女って言葉にボクが感じる違和感や陳腐さの原因はなんなんだ?ってことについて考える。

彼氏彼女から愛を育んで結婚に至る。これはごくごく自然な流れなんやけど、どうもこの年齢ともなると彼氏彼女ってのはしっくりこない。

なんか軽いと言うか、陳腐な響きの言葉やなぁと思うわけ。あくまでもボクにとってはね。

これは前にも書いたかも知れないし、下書きのままゴミ箱に捨てた記事やったかも忘れたけど、彼氏彼女ってのは、「この人、自分の特別な存在です」っていう対外的なアピールのための呼称に感じる。

つまり、所有欲というか独占欲というか、さらには承認欲求までもを満たすための呼称ではないかと。

そんな訳だから、別れるも自由。別れてまた別に作るも自由。って印象も少なからずある。

全ての彼氏彼女の関係がそうだとは思わないが、ボクはバツイチやから、結婚さえにも拘束力はないと思っている。

それって口約束に過ぎないんじゃない?結婚には法的拘束力はあるにしても、離婚が認められてるなら、法的にこの2人の交際を認めますみたいなだけで、さらに交際の破棄も同様に認められてるもんな〜。やっぱり基本は口約束。

口約束に過ぎないから、彼氏彼女って言葉にはどこか陳腐さを感じてしまう。

ただ、結婚という言葉、夫婦という関係は決して、陳腐ではない。それはなぜかと言うと、先程の法的に認められてる交際の他にも、結婚には、家族を作る、つまり2人で子どもを作り育てるという生物としての役割も含まれるから、そこも踏まえた上で作られた制度やと考えてるし、それを全うするためには必要な言葉でもあると思う。誰彼構わず子どもを作るってのは、日本では無責任になりかねないし、ボクらの倫理観にも反する。

やから、結婚はとりあえず置いといて、彼氏彼女。

あぁ、そうだ、ボクがこの言葉に陳腐さを感じる一つの原因に、「彼氏が欲しい」「彼女が欲しい」みたいな願望ありきの関係性も含まれるからかも知れない。

何度も言うけど、全てがそうじゃないよ。

もちろん、好き同士でそうなるわけやし、そのまま結婚には至ることもあるからね。

やけども、彼氏彼女って言葉はやっぱり関係性の本質を表していない。

やから、ボクは陳腐さを感じる。

関係性の本質って何か?と考えると、それはお互いを好きであること、愛し合えてること、大切に想い合えてること、思いやれてること、支え合えてること、優しくあれてること、こういうたくさんの想いがあるわけ。ここが付き合うことの本質なわけですよ。

さらに言うと、愛があるから、命を捧げてでも守りたいと思うし、守って欲しいとも思うんじゃないだろうか?これは肉体的だけではなく、精神的にもね。

ボクには、彼氏彼女って言葉にはこう言った本質を感じられない。

やから、違和感を感じるし、その関係性が陳腐にも思えてしまう。

んじゃ、ほかに適切な言葉があるのか?というと、ある。

それは、「恋人」やと思う。

恋をするという言葉は片想い的というか、感情としては、好きしか感じられないんだけれど、恋人にはお互いの深い心情も踏まえた響きを感じられる。

同じ恋という漢字を使っていても、恋し合うのと恋人では、なんか違う。

いや、あくまでもボクの勝手なイメージに過ぎないけども、恋人の間には愛もあるように思うし、先ほど挙げたいくつかの本質も含まれているニュアンスを感じる。

これは、単純に響きの問題なのかも知れないし、字面の問題なのかも知れないが、ボクが勝手にそう思うだけなんだから、良いだろう。

何にしても、彼氏彼女になるよりも、恋人になるって方がしっくり来るし、ボクと女神ちゃんの関係性も表せているように思う。

ということです。

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