そもそも、メッセージや情報が届いていても、自分には関係ないと気付かないフリをする人も多いから残念なんだけど、あなたはそうでないことを願いたいところだ。
想いから願いへ
僕が思うに、望みってのは、想いの段階と願いの段階がある。
想いというのは、言葉や行動で自分から発信できたりもするけれど、願いってのはそうじゃないから、想いよりも願いの方が望みとしては大きく、また叶うのが簡単ではない。
例えば、僕は想ったから沖縄へ行った。恋人に会いたいという、たったそれだけの想い故に名古屋から飛行機で沖縄まで行ったのだ。
これを行動力と言うのは簡単だけど、実際は行動力ではなくて、想いの力だ。想力とでも言えば良いか。
想いだけで動く。ってことだ。
これは、とても純粋な原動力だと思う。
少し話はそれるけど、僕は想いと思いを使い分けている。
思うってのは、頭で考えることだ。想うはこころで感じていること。この二つはまるっきり違う。
さて、想いだけで動くためには、素直に生きなければならない。素直になれないと想ったところで動けない。
考えるより動く
頭より先に体が動くってことがあるけれど、それは想い故に成せる技だろう。
つまり、思うだけでは行動に至れないこともあるけれど、想うなら行動は容易くなるってことだ。
想いがあれば、行動できる。考えるよりも先に動けるのはこのためだ。
それから、想いからの行動には、メリットもデメリットもない。損得とか超えた世界だ。
楽しい、幸せなんかに満たされることはあるけれど、別に得してる訳でもないし、もちろん、損もない。
飛行機代とか時間とか、そんな世俗的なことは超越して考えられるから、ちっさいこと、瑣末なことに囚われた考えに至れない。
想いからの行動にある障壁は、どうすれば動けるかしかない。そこは考える必要がある。
それさえ厭わない状況であれば、頭を使うこともなく、動ける。
それが想い。想力だ。
願いを叶える想力
さて、想いを叶えるためには、自分が動けばそれで良いのだけれど、願いはそうではない。
願いを叶えるためには、想いによる行動をし続けなければならない。
繰り返しと積み重ね。この先で、願いは叶う。
もちろん、叶うに至らないこともあるだろうけど、それはまだ行動が少ないか、想力が弱いのだろう。
だから、想い続けること、想力からの行動を増やすこと、これ以外を選択する余裕などこころにも時間にもない。人生において、あなたの願いを叶え続けていくこと以外は、余分だ。
人生なんて短い。たった80年だ。
僕はもう半分使って来たから、ここから残り半分の時点で、こういった気付きを得られたことは大きい。
この先の人生は、今日よりも素晴らしい世界に進めるだろうし、幸せに満たされるだろう。
想力を鍛えることはできないけれど、これは思い込みみたいな側面もあるから、常に自分の中にある真実を信じ続ければ、自然と想力は強くなる。
その想力を持って、想いを叶える。今日も明日も明後日も、日々想いを叶えるための行動を続ける。
傷付いても、悩んでも、挫けそうでも、続ける。
想いがあれば続けられる。
なぜなら、想いはあなたの人生への願いを叶えるための原動力だから。
あなたはいくつの願いを叶えられるだろう?
どれだけ大きな願いを叶えていけるだろう?
その為にどれほどの想力を持ち、想いを叶え続けるだろう?
自分に素直に生きるってのは、この繰り返しで、願いを叶え続けることだと思う。よりよい明日のため、より豊かな人生のため、あなたにできることはなんなのだろうか?
自分を見つめ直す過程に、こんなにも素晴らしい気付きがあるなんて、本当に幸せな方法を知ったもんだ。
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