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言葉が降りてくる

14歳でエレキギターを趣味としてから、26年。18歳からフォークギターに転身して、22年。人生の半分以上をギターが趣味ってのも、今思えばたいしたもんだ。

フォークギターをはじめてから、自分で作詞作曲をするようになって、以来何十曲も書いてきたけど、曲としてちゃんと完成したものや覚えているものってのは、案外少ない。形にして残してないからだと思う。

これからは、ちゃんと残す作業もしていかないとね。

作詞作曲は才能なのか?

自分ではあまりにも自然というか、何も考えずに出来ることだから、特殊だと思わないんだけど、作詞作曲ができるってのは、才能と言っていいのだろうか。

こうやってブログを毎日書くこともそうだし、実は163日に渡って、毎日女神ちゃんに手紙も書いているんだけど、これも才能なのか?

作曲はともかくとして、言葉を紡ぎ出すということが才能だと言うのが、僕にはあんまりしっくりこない。

それは例えば、朝の挨拶をするくらい自然にできること、、、感謝が溢れるのと同じくらい、言葉が溢れるから、逆に書けへんの?と思ってしまう。いや、これはきっと才能なんだろう。今書いていて思った。

書けへんの?と言われたら腹が立つ人がいるんだろうなと思えば、それを自然とできてしまうことは才能なのだ。

ってことで、僕には言葉を紡ぎ出すという才能がある。

溢れ出るのか降りてくるのか

ところで、タイトルにもしてるように、作詞とか作曲って「降りてくる」って言われたりする。

それはひらめきのようなものってことなんだろう。

でも、アイデアみたいな感じじゃない。「!?」みたいな感覚というより、僕の場合は鼻歌的なものから曲を作っていくから、やっぱり自然と溢れ出てくるものが最初だ。

書こうと思って書くこともあるけど、多くの場合は言葉とメロディが一緒になって出てきて、そこから肉付けしていく感じ。

だから、出だしはスラスラ書けるけど、その先はたいてい考える。頭をひねって考えて考えて、やっと一曲できるって感じなんだけど、曲にしてからも、メロディにあった言葉に変更したり、こっちの言葉の方がしっくり来るとかって書き換えたりと、思えば結構試行錯誤して作ってる気がする。

僕は、10代20代の頃にマンガや小説も書いてたことがあるんだけど、物語を考える方が「!?」って感じで、肉付けするよりももっと楽に、それこそ物語なんてのはスラスラ出てくる。

これはきっと、メロディという型にハメなければ曲が成立しないからだろう。

溢れ出る言葉を削ぎ落として、その時の自分の想いをしっかりと伝えられる無駄のない言葉として作り上げていくんだから、作詞するってのはある意味職人技なのかも知れない。

ってことは、降りてくるのは天才のなせる技だな。

だから、僕は才能があったとしても、悩みながら形にすることしかできない努力型なんだろう。

まぁ、別に何が言いたいってわけでもないんだけど、「アルバム」でも作って今年を終えようかとか考えてたから、こんな記事も書いてみた。

本もまだ半分くらいしか書けてないんだが、、、

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