思ってはいるけれど、現実としては案外そうでもない。
むしろ逆で、発信よりも情報のシャワーに晒されている受信者として不要な情報を排除するという能力の精度が上がっている気がする。
いや、精度が上がっているというよりも、情報に嫌気が差していると言った方が正しい。
だから情報発信に意味がないとか、使い古された方法(例えば、チラシやDM、メルマガなど)では届かないなんてことは、はっきり言って思い違いだ。
結局のところ、僕たちは確かに情報に嫌気はさしているけれど、それはあくまでも「不要な情報」に嫌気が差しているのであって、自分にとって必要な情報は今この瞬間も探している。
そして、あなたや僕が悪徳でない情報を発信しているのなら、その情報を求めている人は必ずいる。
ってことはだ、問題は「正しい方法」で発信できているかどうかってことだ。
正しい方法というのは、一つだけじゃないし、その要素も複数あるから、「これが正解!」ってものはない。
ただ、考え方として重要になるのは、「誰に伝えたいのか?」を徹底的に想像すること。
最近では、「誰」は古く(というより時代にそぐわないのか?)、むしろ「どの属性」のようなことも言われるけれど、言葉は目の前の人のために発する方がパワーを持つので、「誰」を明確にできるなら、その人に向けて伝わるように想像すべきだ。
簡単に言えば、「お母さん」より「5歳児を育てているお母さん」ってこと。世の中にお母さんはなんぼでもいる。なんぼでもいるから、お母さんたちには届かない。
だけど、5歳児を育てているお母さんはピンポイントになる。
まさに今、5歳児育ててるんですけど〜?!ってお母さんにとっては、「これは私のこと?」と関心を持つからだ。
このように、誰を想像した上で、正しい方法にて伝えられれば、あなたの情報を必要としている人には届く。
正しい方法にとって、誰は最も最初に想像すべきひとつの要素だ。
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