お金への見方が変わった
もともとどうだったかって話は、上の記事たちを参考にしてもらうとして、最近、お釣りを全部ではないにしても、意図的に募金してみている。これは、実験なんだけど、多分、効果がある。
それと、ちょっと前から、寺社に行けば、小銭を空にして帰るようにもなった。まだお札までは手が出ないけれど、龍城神社には思い入れもあったから、お札だったな。お陰でってことはないだろうけど、おみくじは大吉やったので、今でもときどきお告げを見返しては、自戒としている。
まぁ、こういう行為は、ボクが自分で考えてやり始めたわけじゃなくて、ボクの尊敬する元カノがそういう人だったのを見て、真似てみたのだ。クズなりに感銘を受けてたってことだなきっと。
浄財するということ
これらは徳を積む行為でもあるんだけど、「浄財」だとも考えている。お金への欲をキレイにするための行為。
寄付とかお賽銭ってのは、対価交換ではないから、身銭を切るだけの行為だし、別に1円でも1万円でも、価値は同じだろう。ようは、寄付したとかお布施したって行為自体に自己満足すれば、それで良いのであって、金額の多寡は関係ない。
ボクは、そう考えていた。
だから、元カノの行為に感銘を受けたわけだ。いや感銘もだけど、最初は、頭をガツンと殴られた感覚だった。その時は、お付き合いする前だったけど、「なんてステキな人なんや」と思ったことを覚えている。
いや、別にボクとの金額の違いにってわけじゃないよ。書いているから分かると思うけど、自然と当たり前のように大きな額でもお布施している姿が神々しく感じたって話ね。
思い返せば、そこから、自分の中で、お金へのメンタルブロックを外す時期が来ていたのかも知れない。
お金が汚くなくなった
そうこうしている内に、冒頭の記事たちのような変化も経て、ボクの中でお金は汚いものでも、憎いものでもなくなっていった。
そして、お金が道具になっていた。
これまでのボクは、コンビニでも財布を出すことに、少しの抵抗感があった。払うのが嫌とかじゃない。そうではなくて、きっとお金に携わることが嫌だったのだ。
だけど、最近はそんな抵抗感などない。何も感じない。そして、お釣りとか財布の中の小銭を募金してみている。
さっきも書いたように、募金するたび、お布施するたびに、浄財されていく。だから、ボク自身のお金に対する見方が自然と変わっていったのだ。
心の浄化
お金への見方が変わるってことは、心も浄化されるってことだ。心は他にもいろんなことで汚れてしまうから、お金だけでピカピカってわけにはいかないけれど、少しはキレイになる。いや、そこそこキレイになる。
だから、ボクは稼ぐって欲もキレイなまま持てるようになってきた。汚れたり、荒んだ欲望ではない。
さらに言えば、ボクはボクのために稼ぐ。ボクが自由になるために。これは、ボクがボクであることを愛するが故に生まれる考えだ。つまり、ボクはお金のお陰で、自分を愛することもできていると言える。お金万歳!
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