身近にいるのか、あなたがそうなのか、たまたま耳にするのかは、とにかく世の中ではあちこちでマウントの取り合いが行われている。これは、SNSの影響もあるだろう。
マウント(勝ち負け)を流せる思考
リア充なんて言葉が流行ったのはもう10年くらい前からだけど、今でもインスタ映えなどでマウント合戦はSNS上でも行われているんじゃないだろうか?
もはやインスタ映えなんて言葉も古いんだろうけど、フォロワーやいいねの数字に左右されたりしてしまうのも、誰かとの戦いなのだとしたら、マウントを取りたいって欲求なのだろう。
承認欲求の塊が蔓延っているんだろうか?
まぁ、人のことなんてどうでも良いよね?って言いたいし、そう思えたら楽なんだけど、それが出来たらマウントなんて気にしないし、マウント合戦に縁のない僕が取り上げることもないわけだ。
そう、マウントはこころの疲弊を促進させるから、取り上げている。そして、それを流す思考は確かにある。
先ほど言ったように「人は人」と切り離せればいい。だけど、自分に対してマウントを取られると、そうは行かない時もある。なぜなら、刃がこちらを向いてるからだ。
戦うことが目的なのか?
コミュニケーションにおいて、あなたは相手に何かしらの試合を挑んでいるのだろうか?
もしそうでないのであれば、マウントを取られてもそれは予期せぬ戦いを相手から挑んできたことになる。
その戦いにあなたも参戦する必要はあるのだろうか?
必要などは皆無だ。だから、潔くムシしてしまってもいいだろう。流してやればいい。
大切なことは、相手とのコミュニケーションであなたがどんな結果を得たいのか?何が目的でマウントを取るような相手と会話しているのか?だ。
あなたとしては、自分が欲しい結果を得られれば、マウント合戦の勝ち負けなど、昨日の天気ほどどうでも良いことではないだろうか?
試合に負けても勝負に勝てばいい
例えば、あなたが旦那さんもしくは奥さんや子どもに何かをお願いしたいとき、それを察した相手が「今日は疲れたなぁ」とか、言い訳でマウントを取ってきたら、あなたはそれに応じてしまうかも知れない。
「こっちだって疲れてる!」と言いたくなるかも知れないが、それでは言い合いになるだけで、結局、相手の思う壺。あなたの欲しい結果『相手に何かしてもらう』ということにはならないだろうし、結果が得られても、気持ち良くはないだろう。
だから、マウント合戦に乗ってはいけない。
相手に理解を示しつつ、あなたの要望を叶えてもらえるように持って行かなくては、互いにこころが疲弊することになるだけで、何一つ良いことはないのだ。
気持ち良く目的さえ叶えられれば、試合などどうでも良い。あなたは勝負に勝つ(要望を実現させる)ことが目的なのだから、それを叶えるために冷静でいなければいけない。
と言うのは簡単なんだけどね。実際、マウントを取られたら、言い負かしたくもなるだろう。だけど、そこはもう何というか、大人になるしかないのだ。身も蓋もないけど、そこで踏みとどまれて、自分の目的を叶えることを優先できるように思考を切り替える以外、そのゴングを聞き流す術はない。
だから、「方法」なんて言葉使っていないし、知って欲しいこと、思考なんて言葉を使うしかなかった。
せめて、鍛えるとしたら、、、
技術ではないけれど、聞き流すとか、気にしないってのは、もう鈍感力を鍛えるしかない。
自分と自分が興味あるモノ意外には鈍感、無頓着であること。そうあれれば、そもそもマウントなんて気にならない。こっちが弾みでマウント取って、相手が取り返して来てもそこで流してしまえる。
あぁ、それで言えば、肯定するってのは一つの技術だし、方法かも知れない。
先ほど、相手に理解を示すと書いたけど、まさにこれが肯定だ。
「疲れてる」と言われたら、「疲れてるんだね」と肯定してあげれば良い。そしたら、そこでマウント合戦は終了だ。
お風呂を沸かして欲しければ、「疲れてるなら、お風呂入りたいよね?でも、今日は沸かし忘れてたから、沸かしてくれる?」と、例えが下手すぎて申し訳ないが、肯定からお願いに繋げれば、目的を叶えられるのではないだろうか?
人は、否定されると腹が立つから、応戦しようとするけれど、肯定されれば腹が立つこともないから、言い合いに発展することもない。
つまり、マウント合戦への終止符は、相手のマウントへの肯定で打てるし、その後でじっくりと目的を叶える方向へ誘導してあげれば良いわけだ。
そうすれば、無意味なマウント合戦にこころが疲れることもなくなるのではないだろうか?
無縁な僕が言えるのは、ここまでだったw
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