釣りは良い。特に、自然を感じられる中でする釣りは最高。自分を忘れられる時間を持つのは、人生でも至高の瞬間だと思う。
そんな釣りの醍醐味は、やはり食べることにある。自分で釣った魚に感謝して、食す。これは、心を育む教育としても大事だとボクは考えている。だけど、ボクの釣りの楽しみは、もう一つある。
飼育する
それが、釣った小魚を水槽で飼うという楽しみだ。まぁ、これはエゴにもなるし、アヒンサー(非暴力)、アスティヤ(不盗)に反することにもなってしまうんだけど、泳ぐ魚を観ていると、心が落ち着くから、少しだけは良いだろうと自分に許可している。
昨日までは、メバルが二匹と、ガシラ(カサゴ)が二匹、それとカニとヤドカリが数匹いた。そう、昨日までは・・・
メバルたちが教えてくれたこと
昨日の深夜、ふと水槽をみたら、さっきまで元気にしていたメバルがニ匹とも死んでいた。ショックだった。
エサも食べてたし、さっきまで泳いでたやないか・・・
そして、死んだメバルをみて「あぁ、食べずに飼ったせいで、生命を奪ってしまったのか」と反省もした。
その時に、ふと水槽の水をみたら汚いことに気付いた。最近、水槽のガラス面が汚れていたのは気付いてたんだけど、コケのせいやと思って放置してたら、実は水も濁っていたのだ。
今日は、朝から仕事が解決せずにイライラしてたこともあったから、気分転換に水を換えて、水槽の掃除をしようと思い立った。やるときゃやる。
天に召されたメバルたちに謝りながら、すくい上げ、壁のコケをゴシゴシ。汚い水を半分ほど入れ替えて、ろ過器の中の綿(?)みたいなのも交換。しばらくすると、水がキレイになった。壁のコケは全部とれなかったけど、水質は改善された。これで、ガシラたちは生きていけるだろう。
メバルのお陰で、他の生命が助かったんだと思う。だけど、それだで終わる話じゃないから、ブログに書いている。
水の浄化は、心の浄化?
水が淀む様は、心が淀む様と似ている。キレイになった水をみて、ボクの心も少し澄んだ気がした。さっきまでイライラしてたから。でも、相変わらず、仕事は解決しなかった。募るイライラ。だけど、人に当たることはない。
途中、ギター教室も入ったりしたから、ところどころ、気分転換をはさみ、弟の誕生日会も済ませ、結局、朝9時過ぎから22時だか、それくらいまで一つの問題解決に取り組んでいた。どうしても、今日目処を立てないと、明日も明後日もやることが別にある。
調べに調べ、試行錯誤を繰り返し、うまく行きそうでいかない状況にイライラ、イライラ。でも別にストレス感じるわけでもない。どっちかと言うと、絶対に解決してやるって余計に思ってた。
同時に、今日は想いを寄せる元カノ(ん?)とのLINEもたくさんできていたので、むしろやる気満々でイライラしていた(笑
そんな時に「あれ?これってもはや、この手法を使ったら、実現できるんじゃね?」と、突然のひらめき。
そして、試してみると、「できた!!」
うん。試行錯誤のかいあって、発想の転換により、サクッと解決。問題ってそんなもんですね。気分転換しながら仕事するという新しいスタイルを見つけた気もした(笑
で、ふと水槽をみたら、水の具合も落ち着いて、だいぶ見通しが良くなっていた。
「おぉ、まるで今のオレの心のようや」と思ったわけだ。そう、水が淀むと、心も淀む。
環境もキレイに保つことの大切さ
最近、部屋の模様替えをした。お陰でだいぶ広くなったんだけど、その時に床も拭いて、そこで満足していた。だから、水槽にまで気が回っていなかったのだ。だけど、身近にある水は、きっと心ともリンクする。
すでに公開した記事、この先にストックされている記事、それらは淀んだ水の状態のボクが書いていたから、もしかしたら、この先書く記事は、変化するかも知れない。
まだ、残っている汚れも近い内に磨くだろう。その時、ボクはまた心が清らかになり、成長した自分にも気付けるのかも知れない。
今日、LINEでのやり取りで、「イライラすることは良いことです」と言われた。
それは、これまでのボクはイライラするからやらない。先延ばし。だったんだけど、これはやさしさと甘さを履き違えていたから、そんな判断をして、自分を守っていた。
今日は、イライラするから絶対やり切る。と考えた。これは、自分への厳しさでもあるのだろう。やさしさから来る厳しさだ。それを持てていた自分に気付かせてもらえた。
こうして、心もキレイにする努力をしながら、身の回りの環境もキレイにする。具体的な行動も重ねることで、ボクはさらに成長できるだろう。
そんなことをメバルが生命を賭して教えてくれたような気がする。彼らは明日庭に埋めて供養しよう。
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