例えば、体を洗う時は必ず左腿から洗うとか、起きたら発声練習してからトイレとか、ルーティンみたいなのも含めて、何かルールはあるだろうか?
自分ルールに縛られる
ボクは特に意識しているルールとかはないんだけど、習慣化してるようなのは無意識にあるのかも知れない。
とは言え、意識してないから特に困るとか、気持ち悪いとかってこともなく、型を崩したりしてることもあると思う。
だから、ボクには「自分ルール」を守る人が、なんとなく息苦しく思えたりもする。
イチローのルーティンのように、集中力を高めるとかってのは、あったほうが良いと思うから、そこに息苦しさは感じないけど、なんか生活の中で事細かにルール決めてると、息苦しそうだ。
そう、まるで自分ルールで自分を縛り付けているかのようなのだ。
さらに酷くなると、そのルールが常識のように勘違いしだすだろう。
「左腿から洗わないとか異常」ってことね。
昔、あるお笑い芸人が「洗濯物を左右均等に干せない女とは結婚できない」って言ってたけど、これも彼の中に自分ルールがあるんだろうなと思いながら、聞いていた。
人によって色んな自分ルールがあるんやなぁとも思う。
だけど、そのルールで自分を縛り付けたり、ましてや周りにまでそのルールの適用を求めるというのは、いささか乱暴だなと思うのだが、どうだろう?
洗濯物が左右均等でないとダメというルールくらいなら許せるだろう。と思うかも知れないけれど、そこになんの価値も見出せない人だっているんだよ?ってこと、そういう人たちの存在を許さないみたいに考えないこと、つまり、自分ルールなんてのは、己にしか適用しないモノであって、他者には他者のルールがあると弁えることが大切なのではないかと僕は考えている。
お皿の片付け方、衣服のたたみ方、洗濯物の干し方、料理の食べ方、そりゃ色々とあるだろうし、マナーやモラルも当然含まれてくると思う。
ただ、大切なことは「個」の尊重であって、まずはそれを優先すべきではないかと。
その上で、なぜそのルールが大切なのかを説明書、ちゃんと自分なりに納得してもらうってのが、順序かな?と。
自分ルールの適用範囲を広げたいというのは、支配欲なのか、自己満足なのか分からないけれど、それを強制したり、それ以外を排他したりなんてのは、言語道断ではなかろうか。
これは、人間関係全般に言えることだと思う。
たとえ、親子であっても、夫婦であっても、恋人であっても、親戚であっても、友人、知人であっても、上司部下であっても、個の尊重と説明による納得を経ず、ルールを適用させることは暴力的だろう。
人生をストレスなく生きたいと、誰しもが願いながらも、自分ルールの他者への適用のように、知らず知らずのうちに自分からストレスを生んでいたりするってことは、認識しないと、それだけで自分が苦しくなるし、他者をも苦しめかねない。
だから、人間関係が上手くいかないのは、互いが自分のことを知らなさすぎるが故だと僕は思う。
あなたはどれくらい自分のことを知っているだろうか?
あなたはどれくらい自分のこころのことを知っているだろうか?
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