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自惚

自分の力で何かを成し得ようと思っていた頃があった。なりたい自分があって、そこを目指して意気揚々と努力をし、悩みながらも壁を超えようともがいていた時期があった。

それよりももっと前、小学生5年のときもそんな想いを持っていたと思う。

勉強が出来たわけでもないし、マンガを書くこと以外に得意なこともなかったぼくは、地元の中学に行きたくないと思い、中学受験を志したのだ。

なぜ地元の中学に行きたくないと思ったのか…それは、あまり治安のいい学校ではないと噂で聞いていたこともあるし、中学生に因縁をつけられそうになった苦い思い出も影響していると思う。とにかく、地元の中学が怖いと思うようになった。

そこから離れるためには受験しかないなんて発想に至った理由は分からないけれど、周りで受験勉強してた友だちがいたことを知っていたんだろう。

しつこいようだが、ぼくは勉強ができたわけじゃないし、入塾テストもギリギリだったようで、塾の講師からは「この学力では今から勉強しても、どこの中学にも受からない」とまで言われた。それくらい勉強ができなかった。

案の定、塾のテストなんてボロボロだったと記憶している。偏差値も40そこそことかだったか、なにせ勉強はできないままだった。

ただ、行きたい中学は立命館とか同志社とか大層なところを望んでいたし、そこに受かるつもりで勉強はしていた。自分なりに努力はしていた。

今思えばちょっと引くんだが、ぼくが受験することになってから、うちにはテレビがなくなった。なぜなら、ぼくの勉強の邪魔になるからだ。たったそれだけの理由で、弟や妹からも娯楽を奪ってしまったことは、申し訳なく思う。

父親は大阪大学出身というエリートだったから、ぼくの受験勉強には熱を入れていて、よく算数を教えてくれたけど、父は頭は良いけど教え方が上手くなかったのか、ぼくには理解できなかった記憶がある。感謝すべきことだけど、その頃から父親のことが怖いと感じ始めたようにも思う。

母親ももちろん応援してくれた。歴史の勉強のためにと、法隆寺に行ったような記憶もあるが、本当に行ったのかどうかは覚えていない。ただ、奈良県に行ったということだけは記憶している。

そこまでしてもらっても、塾の勉強は難しかったし、偏差値が上がるほど理解力もなかったんだけど、福音として学校の授業は面白いほどに理解できるようになった。そのことが一番良かったことかもしれない。

相変わらず塾の成績が上がらないままでも、学校が楽しくなれば、塾も楽しくなるし、きっとぼく自身も気付かぬうちに変わっていったんだと思う。学校の担任の先生も、ぼくが6年生になってから(良い方向に)変わったと保護者面談で言っていたそうだ。

以前がどんな子どもだったのかは分からないし、ぼく自身は変わったなんて思ってはいないけれど、自分の中でも小学校で一番楽しかったのは6年生の1年間だと記憶してるから、その通りなんだろう。

とにかく、立命館や同志社に受かりたいという想いで、必死に勉強して、必死に遊んで、毎日を目一杯生きていたと思う。

思い出話が長くなったけれど、ようするに「明確な目標」があったから、ぼくはそのために生きていられた。

それはつまりこういうことだ。
人は「なぜそれをするのか?」という動機が明確であれば努力できる。

自分の中に強い動機が生まれれば、人は変わることさえできるんだと思う。
そして、その動機は「自分のため」であれば、より強い動機になるんじゃないだろうか。

なぜかというと、今のぼくは「自分のため」に何かを成し遂げたいと思えていないからそう思うのだ。

冒頭に書いていた頃の話は、20代前半だった。あの頃は、ギターに没頭していて、絶対に弾きたい曲があり、そのために寝る間も惜しんで努力をし、一日何時間もギターを触っていた。だからなのか、自分の中では、あの頃のぼくは小学校6年生の頃と同様に輝いていたと思っている。

もう少し深く掘り下げると、中学受験にしても、ギターにしても、ぼくはそれを成し遂げたら「カッコいい」とか「自慢できる」と思っていたから努力を惜しまなかったんだろう。幼稚なことだけど、きっとそれがぼくの生きる原動力になっていたんだと思う。

異性にモテたいとかじゃなく、自分に酔いたかっただけだろう。

まぁ、気持ち悪い思考ではあるが、思い返せば、「お前は自分が好きやな」とよく言われたものだった。よってナルシストだったことは間違いない。ただ、そういう自分は適応障害になって以降見えなくなった。

今でも消えたわけではなかろうと思う。ただ、そういう自分を見ないようになったのかも知れない。

それはそれで他者から見てても違和感になるだろうし、本当の自分を認めようとしないわけだから、自分に対する自信もなくなる。

ナルシストなんて良いことではないと思っているけど、ぼくにとっては良いことなのだろうか。

1981年生まれのぼくは、今年が本厄だ。

急に話が変わったようだけど、そうじゃない。

本当に厄年ってのはある。

前厄からしても、親戚のおじが亡くなり、本厄の今年もおじが亡くなった。
仕事も金銭面も人生最大の苦労をしてるし、お陰で女神ちゃんにも苦労をかけている。

女神ちゃんと結婚できたこと、一緒にいれていることで、彼女が厄除けをしてくれているにしても、厄年ってのはそれを凌駕することを平然と起こしてくれる。

正直、人生で一番負担を感じている一年だ。

そして、ほぼ同時にぼくはナルシストでなくっていっていた。(※正確にはぼくがそう思わないようになっただけだが…)

つまりだ。

ぼくが自分のことを好きという感情を見ないようにしたことと厄年は関連していると言える。

前厄の年(2021年)から、ぼくは徐々にナルシストな自分から目をそらすようになり、それと同時に災難が降り注ぎ始めたとも言える。

おじたちが亡くなったのはぼくのせいってことだ。

だから、今のぼくや女神ちゃんに降り注いでいる厄災は、ぼくがナルシストでなくなったせいなのだ。そう結論づけるしかない。

もう少し考えると、ぼくは時間をかけてナルシストであるぼくを否定していたし、それが適応障害をも引き起こしたとさえ考えられる。これは外的要因がそうさせていたとう事実もある。

そこからぼくの厄年が始まっていたとも言える。

その中でも女神ちゃんと出会い、結婚し、夫婦生活を営めていることは奇跡だろう。

読んでいる人からすれば「自分本位な思考」で、気持ち悪いし気味悪い思考でしかないとは思うのだけれど、ぼく的には「ナルシスト」を基準に考えると合点が行くし、辻褄も合うから、それ以外の要因はないとさえ言い切る。

養護するわけではないけれど、ナルシストって最高の自己愛だと思う。

自分を愛せる人でないとナルシストにはなれない。

そして、ナルシストな人は成功している人に多いだろう。憶測だけどそう思う。

結局ぼくは、元々の自分の素質そのままで生きればいいわけだ。何か新しい自分をインストールする必要もなく、元に戻ればいい。とは言え、上書きではなく、この数年で得た新しい自分にプラスして元に戻るってことだ。

「源泉は足元にある」とはよく言ったもんだ。

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