昨日のボクと今日のボク
昨日までのボクと、今日のボク、明日のボクでたいした変化はないと思う。日々一刻一刻、喜んだり、悲しんだり、嬉しかったり、苦しんだり、楽しんだり、怒ってみたりと、学んでも学んでも、似たようなことにつまづくボクがいることを知っている。
だけど、成長しているボクも知っている。少しずつ、微々たるもんだけど、受け止め方が変わったり、考え方が変わったりしていることをボクを知っている。
だから、ただ前を向いて、今の取り組みを続ける。これがボクのやり方だ。不器用なボクだから、すべてを晒して自分を見つめ直すしか、そんなやり方しかボクにはできないし、思いつかない。
ボクの中にある不変
変わること、成長することは望むところだし、大切なことだ。だけど、変わらないものも知っている。
自然に感動する心。言葉に感動する心。人を愛する心。ボクの大事な部分は、変わっていないことを知っている。
人にやさしく接することも知っている。ボクは自分が弱いことを知っているから、人に対してやさしくあろうと決めている。やさしさと甘やかしの違いに気付いても、やさしいことに変わりはない。ただ、甘やかしはしなくなるだろう。そんな小さな変化をしていることも知っている。
今、やさしく見えはじめた世界
ブログをはじめたのは2021年3月21日のこと。いつものことだけど、元カノとのLINEがキッカケで、ボクには書くことが向いているという話になり、出戻りのブログを再開した。再開と言っても、過去のドメインは破棄していたので、リスタートだけれど。
今は3月30日だから、10日ほど経った。それでも随分と自分が違うものになった気だけはしている。まぁ、自分でそう思っているだけかも知れないが、せめて、自分くらいは変わったと褒めてやりたい(笑
自分で自分が変わったと思ったのは、至極簡単なことなんだけど、いつもの景色がやさしく見えたからだ。
これは、これ以上の言葉で表現できない。
ただ、いつも見ている景色なのに、なぞにそこにやさしさを感じたし、感じてから周りを見ると、何も代わり映えのない風景なのに、すべてにやさしく包まれているんだなぁと思えた。ボクは幸せなのだ。
だから、昨日のボクと今日のボクは違うのだろう。何がどう変わったのかは説明できなくても、前には進めているってことだ。
ある日の友人の言葉
「お前、変わったな」と言われたのは、過去に一度しかない。
中学からの同級生が、路上ライブをやるようになったボクを知って言ってくれた。あの言葉をボクは今も忘れていない。その言葉だけで、ボクがどれだけ救われたか。
確かに、中学高校の頃のボクは、おとなしかったし、なんなら登校拒否だった時期もあった。日々漫画ばっかり書いていた。
そんなボクが、人前で歌うことを(しかも音痴なのに)恥ずかしいとも思わずに、ひと目を気にせず、ところ構わず、必死で唄うなんて、変わった以外の表現はないだろう。
あれ以来、ボクは変わっていなかった。だから、この先、努力して変わることとができて、「お前、変わったな」と言われることがあれば、その時は、「ありがとう」と伝えたい。
あなたがいるから、ボクがいる
ボクが変われたのは、ボクを知っているあなたがいたお陰だ。変わる前のボクをよく知っていなければ、変わったことに気付くはずはない。
ボクは、人との関わりの中で、小さな気付きをひろいながら、そして、今ここにきて、それらを一つ一つ見つめ直しながら、明日のボクのために吸収しようとしている。
それは、あなたとの関わりなくしては、あり得なかったことだ。今のボクを作ってくれたのは、これまで関わってくれた多くの人たちなのだ。
そんなことをなぜかふと思った深夜。立て続けに雑記二本目だよ(笑
書くことはやめられそうにない。
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