fbpx

一人の限界は遥か昔に・・・

楽しいと感じることがやりたい。

これはわがままだ。

楽しくないことはやらないってことだから、わがままなんだと思う。

これまで、ずっと流されて生きていたから、そこに対して反抗してるのかも知れない。

郷に入っては郷に従え、住めば都と言われるように、どんなことでもそこに楽しみややりがいを見つける気があれば、普通に生きられるだろう。

石の上にも三年。

我慢を続ければ、やがてそれが我慢しなくとも、自然とできるようにもなるだろう。

そうすれば、楽しくないなんてこともなくなる。

だけど、実際には、シンドい、嫌だと思いながら三年を過ごしては、我慢しか残らない。

少なくとも、僕はそんな人生だった。

そんな自分の人生に抗って生きようとしても、思うようにはいかない。

我慢しない分だけ、苦しくもなる。

あのまま流れに身を任せていたら良かったのだろうか。

僕には、流れを自分で作るほどの器用さはや豪胆さはない。

だから、もしかしたら、今も支流で流されているだけなのかも知れない。

それでも良い。

あの頃よりは随分と生きやすい。

でも、ふと差し伸べられた手は、いつも流れの外にある。

「どうしてそんなに苦しい顔をして流されているの?」

「もうその流れから陸に上がれるのに、まだそのまま流されていくの?」

そうやって、ゆったりと流されていく僕を陸から見ては、手を差し伸べてくれる。

『流れに乗ってないと怖い』

『自分の力でなんて歩けない』

心のどこかでそんな声がする。

大きな流れが嫌になってこっちへ来たけれど、結局流れに身を任せていては、たいした変化はないのだ。

今、僕が本当に怖いのは、流れの行き着く先が分からないことだろう。

それは、自分で行き先を決められないって怖さだ。

会社を辞めると決めたのに、辞めたら辞めたで仕事がない。

こんな行き先を描いて流れに身を任せていたのだろうか。

きっと、それはなにかに縋ろうとしているからだろう。

誰かが助けてくれるんじゃないかと思っていたんだろう。

みんなの手を振り払って来たのに、どこかで期待していたんだろう。

僕はそんな生き方がしたかった訳じゃない。

ここであがかなければ、陸には上がれない。

もがきあがかなければ。

あがく自分がダサいと思って、そのまま沈むって選択をするのか?

ほんの少しあがいただけじゃ、ダメだ。

もっと、もっと、必死にあがいて、差し伸べられた手をしっかりと握りしめないと。

一人では何もできないんだから。

そう、僕は一人じゃ何もできないんだ。

助けてもらわなければ生きられない。

支えてもらわなければ歩けもしない。

それが僕だ。

それこそが僕なのだ。

そうやって、助けられ、支えられながら、自分の楽しいと思えることをやって生きる。

これが僕の生き方だ。

でなければ、僕はもっと早くに成功してる。

今日から、僕はそうやって生きていく。

]]>

関連記事

PAGE TOP