これはわがままだ。
楽しくないことはやらないってことだから、わがままなんだと思う。
これまで、ずっと流されて生きていたから、そこに対して反抗してるのかも知れない。
郷に入っては郷に従え、住めば都と言われるように、どんなことでもそこに楽しみややりがいを見つける気があれば、普通に生きられるだろう。
石の上にも三年。
我慢を続ければ、やがてそれが我慢しなくとも、自然とできるようにもなるだろう。
そうすれば、楽しくないなんてこともなくなる。
だけど、実際には、シンドい、嫌だと思いながら三年を過ごしては、我慢しか残らない。
少なくとも、僕はそんな人生だった。
そんな自分の人生に抗って生きようとしても、思うようにはいかない。
我慢しない分だけ、苦しくもなる。
あのまま流れに身を任せていたら良かったのだろうか。
僕には、流れを自分で作るほどの器用さはや豪胆さはない。
だから、もしかしたら、今も支流で流されているだけなのかも知れない。
それでも良い。
あの頃よりは随分と生きやすい。
でも、ふと差し伸べられた手は、いつも流れの外にある。
「どうしてそんなに苦しい顔をして流されているの?」
「もうその流れから陸に上がれるのに、まだそのまま流されていくの?」
そうやって、ゆったりと流されていく僕を陸から見ては、手を差し伸べてくれる。
『流れに乗ってないと怖い』
『自分の力でなんて歩けない』
心のどこかでそんな声がする。
大きな流れが嫌になってこっちへ来たけれど、結局流れに身を任せていては、たいした変化はないのだ。
今、僕が本当に怖いのは、流れの行き着く先が分からないことだろう。
それは、自分で行き先を決められないって怖さだ。
会社を辞めると決めたのに、辞めたら辞めたで仕事がない。
こんな行き先を描いて流れに身を任せていたのだろうか。
きっと、それはなにかに縋ろうとしているからだろう。
誰かが助けてくれるんじゃないかと思っていたんだろう。
みんなの手を振り払って来たのに、どこかで期待していたんだろう。
僕はそんな生き方がしたかった訳じゃない。
ここであがかなければ、陸には上がれない。
もがきあがかなければ。
あがく自分がダサいと思って、そのまま沈むって選択をするのか?
ほんの少しあがいただけじゃ、ダメだ。
もっと、もっと、必死にあがいて、差し伸べられた手をしっかりと握りしめないと。
一人では何もできないんだから。
そう、僕は一人じゃ何もできないんだ。
助けてもらわなければ生きられない。
支えてもらわなければ歩けもしない。
それが僕だ。
それこそが僕なのだ。
そうやって、助けられ、支えられながら、自分の楽しいと思えることをやって生きる。
これが僕の生き方だ。
でなければ、僕はもっと早くに成功してる。
今日から、僕はそうやって生きていく。
]]>