うちのブログはSEOも関係ないし、アクセス数も伸ばそうとか思ってないから、平均しても3〜5PVくらいで、ユーザ数も2〜3人、一人は女神ちゃんだから、後は僕と誰かってのが常。
最近は、LINEからも来てくれてる方が増えてるとは言え、そんなに大きく伸びるようなブログやない。
が、昨日は199PVもあって、ユーザ3人。1人の人が100近い記事を読んでくれたっぽい。そんなこともあるのかと驚いたし、有り難いことでもある。(数が多すぎて怖さもあるけどw)
ってのは余談。
昨夜、女神ちゃんとLINEしてて面白いことに気付いたから、そのことについて深掘りしてみようかなぁってのが今日の本題。
僕たちにとって、親というのは欠かせない存在なわけで、親がいなければ自分は存在さえできないんだから、有り難いものなんだけど、どうも親は子を心配し続ける傾向が強くはないか?と思えることが多々ある。
それ故に、ついつい口出ししがちだったり、頼んでもないことをやってしまったりと、親の行動が原因で親子間でトラブルになることも多い。
簡単に言えば、過干渉、余計なお世話なのだ。
なぜこんなことになるのか?と言うと、親自身が親としての自分を誇りたいとか、自分を認めたいから、子に構おうとしてしまう。
子どもに構うことで、自尊心を満たせるからだ。
つまり、親のエゴでしかない。
子から望んでいないのであれば、勝手に判断して構うべきではないということだ。
そもそも、動物の親というのは、子どもが自分で食料を調達できるようになれば、それ以上のことをしない。
これが動物の親があるべき姿だと言える。
人には感情があるからとか、美徳だとか、愛情だとか、そんなことは不要だ。
いや、違うな。愛情を示したいなら、子どもの生命を繋ぐためだけの行為を黙ってすればいい。それさえ断られるなら、黙って見守る。これしかない。
生命を繋ぐ行為とは、食糧を送る、お金を送るこの二択だ。まぁ、食糧も困ることが多いから、お金だけでいいだろう。一択だ。
それ以上の行為はお節介だ。気持ちがあるとかないとかってことではないのだ。
望まれていないことをしていることに問題があるってことだから、手前勝手な言い分(気持ちがあるとか)で自らを正当化させたがるなってことだ。
子が迷惑をかけることを許せない親は自覚が足りなさ過ぎるだろうし、子に迷惑をかける親は求めすぎている。
己の命を賭して子を守るのは、親の一生の責務だろう。
ただ、それを子から望まれていなければ、自分ごとに専念しとけばいいし、望まれたことは意に反してようが寛容に受け入れとけばいい。
なぜなら、子は己の存在意義そのものだからだ。生物の存在意義の根本が生命を繋ぐことにあるのなら、そうなるだろう。
だけど、介入するってことは、子どもを認めてないこと、つまりは親としての自分を認められていないことの裏返しに過ぎない。
また、子を否定するのは、己の未熟さを認めたくないからに他ならない。
親が子に与える影響ってのは、想像を絶するほどにデカいってことを頭で分かってても、エゴに勝てないし、なんなら影響下に置こうとさえしているのかも知れない。
だから、意に反すると受け入れる前に怒りの感情に任せてしまったりもする。
まぁ、とにかく、親は子に対してシンプルに接すれば良いんだって話だ。
動物は手離れるまでを守り、それ以降は関与しない。関与するなら守ることだけ。
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